2006年8月28日(月)「しんぶん赤旗」
首都中心部の米軍基地
「民族・歴史公園」に
韓国
19世紀末から“外国軍駐留”
|
韓国の首都ソウル中心部を長年、“占領”してきた米軍竜山基地が二〇〇八年末をめどに大部分が移転、返還され、公園として生まれかわります。二十四日には、基地近くの国立中央博物館で公園化事業の宣言式が行われ、一世紀余りに及ぶ外国軍駐留の歴史に終止符を打ち、市民の手に取り戻す一大事業がスタートしました。公園は、民族の苦難と克服の努力を後世に伝えるために特別法に基づいて国が管理する「民族・歴史公園」となる見込みです。
ソウル中心部に位置する竜山地区は、古くから漢江を利用した河川交通の要所として栄えた町。「ソウルのへそ」とも称されるこの町には、十九世紀末から始まった外国軍の駐留が、世紀をまたいで続いてきました。
一八八二年には、軍の反乱による国内の混乱に乗じて介入してきた清国軍が駐留し、内政に干渉しました。日清戦争(一八九四年―九五年)、日露戦争(一九〇四年〜〇五年)を通じ、朝鮮半島の覇権を握った日本は、大韓帝国(当時の国号)を併合。日本の植民地支配のもとで、本格的な軍事基地が建設されました。今日の竜山基地の原型は、日本の植民地時代に完成したものです。
一九四五年の植民地解放後も、竜山の外国軍基地からの“解放”は、もたらされず、主を米軍に変えただけで、基地はそのまま継続。在韓米軍司令部、米韓連合司令部、国連軍司令部などが置かれる最重要拠点となりました。
竜山区庁は「交通の要所という地政学的利点は、竜山発展を阻害する軍事地域、それも外国軍駐屯地というくびきとなった」と説明します。
竜山基地は、ソウルの都市計画も妨害。竜山を漢江の対岸と結ぶ銅雀大橋(八二年完成)は、竜山基地を南北に縦貫する道路として計画されたものの米軍の反対で計画変更され、「まともに機能を果たせない奇形道路」と指摘されてきました。
米犯罪モデル映画がヒット
米軍による犯罪も幾度となく相次ぎました。二〇〇〇年には、劇物ホルムアルデヒド四百七十瓶を基地内の下水溝から流し、漢江を汚染した事件が発覚。犯人は懲役六カ月の有罪が確定したものの、在韓米軍地位協定を盾に裁判途中で出国しました。今夏大ヒットし、九月に日本でも公開予定の映画「グエムル―漢江の怪物」は、この事件をモデルにしたものです。
民主化が進んだ八〇年代末から基地返還世論が高まり、九〇年には九六年までの返還で米側と合意。しかし、米側が多額の移転費用を要求したことから交渉は頓挫し、再度合意にこぎつけたのは二〇〇四年のことでした。
一八八二年に清軍が駐留を始めてから百二十四年目にあたる二十四日の宣言式で、盧武鉉大統領は「侵略と支配、戦争と苦難の歴史を過去に送り、自主と平和の韓国を象徴する記念碑のような公園を」と演説しました。
計画は竜山基地の二・九平方キロのうち二・七平方キロを公園化するもの。完工は植民地解放から百年にあたる二〇四五年の予定です。(中村圭吾)