2006年8月21日(月)「しんぶん赤旗」
ゆうPress
終業時間 深夜までが夜8時に
労組結成、残業代も払わせる
「深夜一時、二時にならないと帰れない。なのに残業代もでない。おかしい」。そんな疑問から労働組合を結成し、未払いの残業代を支払わせた女性ドライバーの小久保英子さん(29)=埼玉県川越市=とその仲間たちがいます。(菅野尚夫)
トラック運転手
小久保英子さん(29)
小久保さんは二トントラックのドライバー。「車を運転するのが好き。ドライバーは一人作業だから気楽なので職業にしました。でも、荷積み作業は毎日が筋トレしているような重労働ですね」と笑顔で話します。高校を卒業して事務職に就職したものの、ドライバーの仕事に転職しました。
給食センターの弁当の配達をする運転手を三年。その後、菓子卸問屋の配送を担当する「虎屋流通」に就職しました。
ところが虎屋流通の仕事は「気楽」どころか、長時間で過密労働でした。配送が終わって会社に戻ってからも仕事があります。倉庫での製品管理、翌日の配送準備と、内勤業務が深夜まで続くのです。「仕事が終わると深夜一時、二時になりました。男性は、帰宅できず会社に泊まり、翌朝そのまま仕事に就く人もありました」
有給休暇もなし
残業代は出ません。残業しても夕食もなく、有給休暇もありません。週休は一日だけ。祝日も休みにならず仕事です。「休みを取ると八千円引かれる」
知人に相談してみました。「こんな働かされ方、おかしいんじゃない」。知人は、労働基準監督署に訴えてみること、労働組合をつくって会社と交渉することなどをアドバイスしてくれました。
ドライバーは十五、六人。女性は小久保さんのほかに一人。女性二人で相談して、労働基準監督署に訴えに行きました。
「指導する」という労働基準監督署。しかし、一向に改善されません。不安がありましたが、「組合をつくろうか」と、同僚に話してみました。
十三人が賛同。二〇〇三年十一月、結成までこぎつけました。
分会長もやめて
労組をつくったものの、波乱に満ちたものでした。
団交に応じても実行しない会社。組合員は、会社の将来性に見切りをつけて、分会長や書記次長までがやめていきました。
組合員の相互の団結の強化、労働者としての義務と責任を自覚した権利意識を学習すること。すべての労働者を組合に加入させる――。課題は山積で、どれも初体験の小久保さんは、組合の書記長として頑張りました。
(1)残業手当や未払い残業代の支払い(2)休日出勤手当や年次有給休暇手当の支給(3)退職金制度をつくる(4)従業員に就業規則などを書面で明示する(5)男女間賃金格差を是正する――分会独自要求をまとめ団体交渉、地方労働委員会へのあっせん、労働基準局への要請など粘り強く行ってきました。
会社側は、残業手当の支給には前進回答をしたものの、残業時間のチェックをしにくいようにタイムレコーダーを取り外して、判を押すだけの勤務表にしました。
八回の団体交渉を重ねた結果、〇四年七月、組合員を理由にした解雇や不利益な取り扱いをする「不当労働行為」は、一切行わないこと、従業員の身分、賃金、労働条件の問題について、会社は事前に組合と協議し、労資双方合意の上に実施する――ことで同意し協定を結びました。
「深夜労働がなくなり、夜八時には終わるようになりました。有給休暇も法律通り取れるようになり、休んだときに八千円引かれていたのが引かれなくなりました」
働いた分もらう
そんな前進のきざしが見えたときでした。昨年六月、「破産申し立てをおこなったことに伴い、従業員全員を解雇する」という「通告書」が渡されました。
「泣き寝入りするのは悔しかった。働いた分はちゃんともらいたかった」と小久保さん。会社は「破産」したものの〇四年二月から記録していた残業時間によって労働債権として優先的に弁済させました。未払い立て替え払い制度も活用して、総額約六百七十万円の支払いを実現しました。
「大変だったけれども、組合をつくったことで職場も改善されたし、未払い残業代ももらえた。一人だったら無理でした。職場には同じ思いの人はいます。おかしいことはおかしいと言ったほうがいいと思って、『勝つまでは頑張ろう』と挑戦しました」と話しています。
交流会で反響
小久保さんの体験は、民主青年同盟埼玉県委員会が主催した「働く青年交流会」で紹介され、反響を呼びました。参加者たちは次のような感想を寄せています。
組合って大切
男性 フリーター
労働組合って大切なんだということを実感しました。ほかの人たちの労働条件を聞いて、自分も正規で就職したいと思いました。
相談の場必要
女性 会社員
(自立して)一人暮らしができない、正規の仕事に就けない、結婚できない、貯金もできない――。頑張って正社員になって働きつづけた先にあるのは、夜中の一時、二時までの残業や、体を壊して休職。フリーターの増加を若者の意識の変化や価値観のみに理由づける政府のやり方には違和感を覚えます。
すぐに青年ユニオンの結成とはいきませんが、悩みを話せる場、相談できる場は必要だと思います。
とても刺激的
男性 事務職
同世代の人たちと交流・意見交換ができて、想像以上に刺激的でした。
今日集まった人たちのつながりを大事にして、今後もこうした機会をたくさんつくってほしいと思います。
話せる場が求められている
民主青年同盟埼玉県委員会の小久保剛志委員長の話
民青同盟は、これまでもJR大宮駅前での「路上なんでも労働相談会」や青年の雇用実態アンケート調査などに取り組んできました。
「働く」をテーマにした交流会は初めての試みでした。青年は話し合う場を持っていません。二十代、三十代の青年は、悩みと不安を抱え、交流の場を求めています。これからもこうした場を草の根からつくっていきたい。秋には青年を主体とした「青年ユニオン」の結成にこぎつけて、広く連帯して青年の置かれている雇用改善のためにたたかいを組織する取り組みを強めます。
お悩みHunter
結婚したら母と同居 彼女に言い出せない
Q 結婚で悩んでいます。私は早く父親を亡くし、母親一人の手で育てられました。家を出て五十六歳の母親一人にすることはできません。理髪店を一人でやっています。元気ですが、持病があります。一度、彼女を母親に会わせたことがありましたが、気の強い母親と一緒に生活するとは言い出せません。一度失敗したこともあり、悩んでいます。(30歳、男性、東京都)
まずお母さんの望み確かめて
A あなたのお母さんも同居を望んでいるのですか?
同居をして、気を使い合うのが好きではない、自由に過ごしたいなどの理由で、最近は同居を望まない親も多いと聞きます。
もし、お母さんが、同居を望んでいないのなら、実家の近くに借家を借りて、生活を始めてみる案もありますね。
お母さんが同居を望んでいるのなら、三人で心地よく生活していける環境と、心構えがお母さんにも必要になってくると思います。
まず、お母さんは何を望んでいるのか? その上であなたはどうしたいのか? 十分考えてから、彼女に相談してみたらどうでしょうか。プロポーズはそれからでも遅くはありません。
これは家族の問題です。家族みんなで納得して生活していける状況を見いだし、また、生活する中で状況が変われば改善していく必要があるかもしれません。
一度失敗したことを悲観せずに、良い経験だったと生かしてみたらどうでしょうか。
一人で悩まず、お母さんや彼女に相談してみることで、思わぬ展開があるかもしれませんよ。
結論を早まらず、じっくり、ゆっくり双方の家族で考えていける状況を、あなたがつくり出したらどうでしょう。
舞台女優 有馬 理恵さん
「肝っ玉お母とその子供達」など多くの作品に出演。水上勉作「釈迦内柩唄」はライフワーク。日本平和委員会理事。