2006年6月26日(月)「しんぶん赤旗」

ゆうPress

ようすけ君に託した平和

子を失った被爆者と絵本作った京都の学生


 京都の大学生らが、被爆者から聞き取りした話をもとに絵本『ようすけ君の夢』を、自分たちの手でつくりました。絵本は反響を呼び、小学校などから読み聞かせの依頼もあります。すべてが初めての体験に、学生たちは生き生きと取り組みました。(伊藤悠希、写真 京都・加藤貴顕)


体験を聞き

 絵本をつくったのは佛教大学社会学部社会福祉学科の学生(社会福祉援助技術演習ゼミ生)十八人。絵を担当したのは京都精華大学の卒業生ら二人です。

 昨年の夏、佛教大学で開いた「原爆展」に「語り部」として参加した真柳(まやなぎ)タケ子さん(62)=京都・城陽市=をゼミに招きました。ゼミでは福祉の視点から、高齢者の生きてきた社会や時代を理解する必要があるとして、被爆者の生活史を学んできました。

 真柳さんは長崎で一歳半の時に被爆。二十二歳で長男の洋輔さんを出産します。洋輔さんは心臓病で生後五カ月で亡くなりました。長男の死について、真柳さんは「被爆が原因ではないか」と思い悩んできたといいます。

 真柳さんが被爆体験について話すようになったのは「イラク戦争が始まったから」です。絵本の中で、被爆の語り部として「日本が、また戦争をするような国にならないよう、これからも原爆の話を伝えていこうと思っています」と語っています。

 被爆体験を聞いた学生たちは、真柳さんの洋輔さんへの思いを感じ取ります。「洋輔さんを現代に生き返らせよう」との提案に、みんなが賛同しました。紙芝居、人形劇などさまざまなアイデアが出、絵本に決まりました。後期は実習に出る学生が多く制作は難航しました。最終段階では物語を深めるために朝五時まで語り明かした人も。

「伝えたい」

 物語のまとめ役、藤木友美さん(22)=佛教大四年生=は言います。「絵本にしたのは、被爆体験を伝えていきたいという思いが強かったからです。絵本だと一人でも、何度でも読めます。イラク戦争など、今起きていることも伝えたいと思いました。大切な人が突然いなくなるのはさみしいこと、それが何回も繰り返されることが戦争ということを子どもたちに伝えたかった」

 絵を描いた京都精華大学芸術学部卒業生の田中愛さん(23)。絵本の絵を描ける人を紹介してほしいと相談を受けます。あらすじを読んで「自分がようすけ君を世の中に出してあげたい」と思いました。「イラクのことを考えると、第二、第三のようすけ君がいると思いました。ようすけ君の中には、戦争で苦しんでいる子どもたちが詰まっているんです」

 田中さんは絵を描いている時、原子力空母が横須賀に配備されるというニュースを聞きました。「事故が起きれば甚大な被害が出ます。ようすけ君は未来に警鐘をならすために現れたんじゃないかって思いました」

点字も予定

 絵本には憲法第九条の条文と「あたらしい憲法のはなし」が添付されています。このアイデアも、ゼミ生の中から出たものです。

 絵本を多くの人たちに知ってもらおうと英語をはじめ点字などさまざまな言語に訳される予定です。

 藤木さんは「被爆者、戦争体験者は高齢化し、直接体験を聞く機会が減ってきています。多くの子どもたちに戦争の悲惨さを知ってもらうため、自分たちができることは何かと考えてたどり着いたのが絵本です。絵本作製を通してさまざまな人、団体とかかわれました。今後も視野を広げていきたい」と話しています。

 問い合わせ先=黒岩晴子 電話・ファクス 0724(53)3976


次世代に継承へ

 ゼミを指導した佛教大学社会福祉学部助教授の黒岩晴子さんの話 真柳さんは被爆した当時の記憶はありません。母親(上村吉さん=(86)=)から聞いた話を語り部として話しています。しかし、自分も被爆したという事実と、それによって長男を失ったという思いがあって一生懸命話してくださいました。学生が真摯(しんし)に受けとめたことで、聞き手から伝え手に変わったのです。このことを通し、戦争を記憶していない被爆者による次世代への継承の可能性に気付きました。


絵本が反響

 絵本の完成は、メディアでも取り上げられました。高校の教育実習では、ゼミ生が絵本を教材として授業をしました。京都の小学校や「ひきこもり」の青年支援施設からの依頼もあります。

 五月下旬、大阪府の小学校での読み聞かせでは、みんな一生懸命聞いてくれました。絵本の“ぼく”が戦争ゲームをする場面には「もう人を殺すゲームはしません」などの感想が出されました。

 教育実習で絵本を使用したゼミ生は「生徒は命の大切さを感じる心は持っているのに今まで話を聞く機会がなかった。今のおとなや私たちにも責任がある」と話しています。

 六月上旬、絵本の原画展が京都市内で開かれました。五日間の開催で、のべ約百五十人が来場。絵を描いた田中さんは、はじめて真柳さんに会いました。絵本をみた真柳さんが「ようすけ君の目が洋輔に似ている」と言っていたことを聞いて「うれしかった」と田中さん。母親の上村さんも「自分がいなくなっても絵本は残る」と喜んでいました。


 あらすじ 現代の小学五年生の“ぼく”が夏休みに“ようすけ君”という少年に出会い、街が火の海になる「こわい夢」の話を聞きます。その後、夢は長崎の原爆投下のことだと気付きます。突然姿を見せなくなったようすけ君。ぼくは身近な友達が消えてしまったことで平和の大切さ、命の尊さを理解するのです。


お悩みHunter

27歳、これからでも弁護士になれますか

  私は四年間の結婚生活を経て離婚し、いま派遣社員です。でも、こんな不安定な生活をずっと続けていくのかと思うと不安です。これと思う仕事につきたいと思っています。そこで浮かんできた職業の一つが弁護士です。いまから弁護士になれるでしょうか。大卒ですが、法学部卒ではありません。司法試験は、すごく難しいと聞いています。そんな私にとっては、夢のまた夢なのでしょうか。(女性、27歳。神奈川県)

粘り強く挑戦 道は開ける

  夢は実現への努力と行動をすることで、具体的な「目標」となり「現実」のものになると思います。

 私も法学部でもなく、法律とは異分野の仕事をしていました。これをハンディとするのか、プラスにするのか考え方次第です。

 ただ、「夢」をかなえるには、「情熱」と「正しい方法論」が必要だと思います。

 あなたはなぜ弁護士になりたいのですか?「弁護士になりたい」という気持ちは、「情熱」の原点になるものですから、ご自分のなかで整理しておいたほうがいいと思います。

 「方法論」ですが、現在、旧司法試験(二〇一〇年廃止)と、受験資格を原則法科大学院(原則三年)修了者とする新司法試験の制度とが併存しています。どのような方法で挑戦するのか、学費や生活費をどうするのか、まず情報収集をして、実現可能な道を探すことです。

 私の知人には、仕事をしながら十年目に旧司法試験に合格した人や、子育てしながら法科大学院に通っている女性、職歴を買われて法科大学院の奨学生になった五十歳代の女性などいろんな人がいます。

 情熱をもって粘り強く挑戦すれば、道は開けると思います。


弁護士 岸 松江さん

 東京弁護士会所属、東京法律事務所勤務。派遣CADオペレーター、新聞記者などを経て弁護士に。好きな言葉は「真実の力」。


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