2006年6月7日(水)「しんぶん赤旗」
教基法改悪反対 党演説会
志位委員長の講演(詳報)
「子どもたちの未来、日本の進路にかかわる国民的大問題だ」。六日の日本共産党演説会でこう切り出した志位和夫委員長は、教育基本法が憲法に準じる重みをもつにもかかわらず「なぜ改定か、政府からはまともな説明がない。ここに大きな自己矛盾がある」と指摘し、改悪法案の憲法に反する二つの問題点を詳しく明らかにしました。
東京での無法広がる
第一は「国を愛する態度」など二十に及ぶ徳目を「教育の目標」に列挙し、その「目標の達成」を国民全体に義務づけることが、内心の自由を侵害することです。
小泉純一郎首相が「内心にまで立ち入って強制するものではない」と国会で答弁していることについて、志位氏は「現実に行われている事態にてらして、政府の立場をただすことが何より大切だ」として、「愛国心通知表」の問題にふれたあと、東京都での「日の丸・君が代」の常軌を逸した強制の実態を告発しました。
「日の丸・君が代」を一九九九年に法制化したとき、政府は学校などで強制しないと繰り返し答弁しました。しかし東京都は入学式や卒業式で「君が代」斉唱で起立しない教職員を毎年のように処分。不起立の生徒が多かった学校などでは「指導不足」として教員を「注意」「厳重注意」など事実上の処分にしています。
「自分の大好きな先生が処分を受けるということになれば、生徒はやむなく起立し、歌うことにならざるをえない。教師をいわば『人質』にとったもので、直接『立て』と命令するよりさらに卑劣なやり方ではないか」と志位氏。
教育基本法が改定されれば、東京都で行われている無法が全国に広がる懸念があるとして「『日の丸・君が代』の無法な強制はただちにやめよと強く要求する」と志位氏が呼びかけると、大きな拍手がわきました。
最高裁判決にてらせば
第二の問題は、改悪法案では国家権力が教育内容と方法に無制限に介入できるようになることです。
現行基本法一〇条は「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」と定めています。志位氏はこの条文が「国家による教育支配のもとで教え子を戦場に送りだした戦前の教育の痛苦の反省のうえに刻まれた条文であり、教育基本法全体の『命』ともいえるものです」と強調しました。
ところが政府案は「国民全体に対し直接に責任を負って」を削って「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」と書き換えています。
その改定理由について政府は「法律の定めるところにより行われる教育が、不当な支配に服するものではないことを明確にした」と説明しています。志位氏は、文科省が「ここには政省令による政府・文科省の裁量行政も含まれる」と説明していることをあげ、これが学力テスト事件最高裁判決(一九七六年)にてらしても説明がつかないものになっていることを示しました。
最高裁判決は法律に明記された内容の執行(「義務教育は九年」など)と、行政の裁量でおこなう行為(学習指導要領など)を明確に分け、前者は「不当な支配」にあたらないが後者は「不当な支配」にあたることがあると明確に断じています。
第一〇条改定の目的は何か。志位氏は「学習指導要領、教科書検定、『日の丸・君が代』強制…政府・文科省がどんな裁量行政をやっても『不当な支配』にはならない―天下御免にする。ここに恐るべき狙いがある」とずばり指摘しました。
習熟度別押しつけで
教育基本法改定が、子どもたちを競争に追いたて、「勝ち組」「負け組」のふるいわけをいっそうひどくすることを狙っているとして、志位氏は全国一斉学力テストの問題を解明したあと、習熟度別指導の画一的押しつけの問題をあげました。
小学校で習熟度別指導の遅れたクラスの授業を見た保護者は「ここだけ電気の数が少ないのかなと感じるほど暗い雰囲気でした。このような子どもの暗さを生む授業はやってはいけないと思いました」と感想を述べています。
志位氏はこうした思いにふれながら、二〇〇三年度以降の学習指導要領では、いわゆる「できる子」と「できない子」は学習内容が違ってよいとしていると告発。「みんなが同じ山に登ることが目標でなく、『できる子』は高い山、『できない子』は低い山。これはすべての子どもたちが等しく学習する権利を保障した憲法に反するやり方ではないだろうか」と訴え、少人数学級の実現こそ教師、父母の願いだと強調すると共感の拍手がわきました。
改憲団体の動きと直結
教育基本法を変える狙いはどこにあるのか。話を進めた志位氏は「『人格の完成』をめざす教育から『国策に従う人間』をつくる教育へと教育目的を百八十度転換させることにある」として、「海外で戦争をする国」「弱肉強食の経済社会」の二つの国策に従う人間づくりという危険な狙いを解明しました。
とくに志位氏は「憲法改定と、教育基本法改定が一体のものであることはこの動きの出発点からのものである」として、一九五三年の池田勇人自由党政調会長(後の首相)とロバートソン米国務次官補の会談で日本が再軍備を進める障害として憲法と平和教育をあげていたことを紹介しました。
この流れは今日の動きに直結しています。志位氏は「日本会議」とこれと一体化している「日本会議国会議員懇談会」(自民、民主議員約二百人が参加)が最近の決議で「憲法改定、教育基本法改定、首相の靖国参拝、愛国心につながる道徳心の涵養(かんよう)」を一体のものとして要求していることを指摘。「憲法改悪反対のたたかいと、教育基本法改悪反対のたたかいを、それぞれ大きく発展させながら、それを一つの流れに合流させていくことを心からよびかけます」と訴えました。
最後に志位氏は「世界の流れにてらしても教育基本法改定はそれに逆らうもの」であることを国連の子どもの権利委員会の勧告やフィンランドの教育改革をひいて語りました。「いま求められているのは、教育基本法を破棄することではありません。これを生かした教育改革こそ強く求められている」として、教基法改悪に反対する国民的運動を急速に広げることを志位氏がよびかけると、会場を埋めた参加者は大きな拍手でこたえました。
志位委員長の講演 骨子
一、「なぜ改定か」――政府は説明ができない
二、「国を愛する態度」など「徳目」の強制――内心の自由を侵害する
・「内心に立ち入って強制しない」――現実はどうなっているか
・「愛国心通知表」――「難しい」というなら法案の道理がたたなくなる
・「日の丸・君が代」の強制――こんな無法と不合理を許してはならない
・市民道徳、国家と内心、政治の役割――日本共産党はこう考える
三、教育内容への国家介入の歯止めなし――教育の自由が根底からくつがえされる
・教育基本法一〇条――戦争教育の痛恨の反省のうえに刻まれた条文
・政府の裁量行政による国家的介入を、無制限に拡大し、合法化する
・国家と教育――教育内容への国家的介入の抑制条項がない
四、競争においたて「勝ち組」「負け組」にふりわける――こんな教育は許されない
・一斉テスト押しつけと、学区制廃止で、学校はどうなっているか
・習熟度別指導の画一的押しつけをやめ、少人数学級にふみだせ
・ふるいわけ教育の根源にある思想を批判する
五、「海外で戦争をする国」「弱肉強食の経済社会」――二つの国策に従う人間づくり
・憲法九条改定と教育基本法改定は一体のもの
・格差社会を支える人間をつくる――二人の人物の恐るべき本音
六、教育基本法を生かした教育改革を――世界の本流にたって
・国連・子どもの権利委員会からの二度の勧告は何を意味するか
・フィンランドの教育改革と、日本の教育基本法