2006年6月1日(木)「しんぶん赤旗」
ジャワ島地震
学校倒壊 友に会いたい
本紙記者が現地ルポ
村長「7000人分テント不足」
【ジョクジャカルタ=豊田栄光】ようやく救援物資が届きはじめ、ほっと一息といった空気が村には漂っています。記者(豊田)は三十一日、今回のインドネシア・ジャワ島地震で被害の大きかったバントゥル県トリムリヨ村に入りました。
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「この村では百四十七人が死亡しました。地震から四日目の三十日に行方不明の二人が遺体で発見されました。がれきの下からです。建物倒壊による死者はこれで最後だと思います」
ムジョノ村長(45)の顔に無念の表情が浮かび上がります。村の人口は一万五千三百人、九割以上の家屋が倒壊しました。
「七千人分のテントが不足しています。雨が降ると、被災者はぬれるしかないのです。粉ミルク、コメ、食用油、ござ、毛布…足らないものだらけです」
ムジョノ村長の携帯電話は鳴りっぱなし、二〇〇三年の選挙で初当選したときは、「村を民芸品を中心にした一大産業拠点にしたい」と考えていました。いまは救援に奔走する毎日です。
「雨の夜、孫娘は夜通し泣き続けました。小さな板で屋根をつくり雨をしのいでいます」
チップトさん(60)は孫のラティちゃんの子守りをしています。母親は足を骨折し、夫は病院に付き添っていきました。「いま一番必要なもの? やはりテントですよ」
スナリヤディさん(42)は倒壊した家の廃材を使って小屋を建てている最中です。父親のスヤディさん(63)を亡くしました。
「おやじは血を流さずうつむいて死んでいた。このコンクリート壁が後頭部を直撃したんだ」
がれきを指さすスナリヤディさん。そこには父親の枕がまだ残っていました。
村には笑い声も戻ってきています。十三歳の少女ヤーヤンさんは国語が大好きな中学一年生。がれきの下からぬれた教科書を取り出し、天日干しをしています。
「学校はつぶれちゃったけど、早く友だちに会いたい」
「友だち?」と同級生の女の子がからかいます。
「はっきり言うと、好きな男の子がいるの。彼が無事で元気だといいんだけど…」。思わぬ告白に周りのおとなたちは、「ウォー」と歓声をあげ大笑い。「おっちゃんが探したろか」との声も。明日への希望を感じさせる一幕でした。
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