2006年5月27日(土)「しんぶん赤旗」

主張

「残留孤児」訴訟

民を棄てる国では愛せない


 中国「残留孤児」訴訟で最大規模の東京訴訟(第一次)が二十四日、東京地裁で結審しました。判決は来年一月に言い渡される予定です。

 「普通の日本人として人間らしく生きる権利を」と訴訟を起こした中国からの帰国者が「これで救われた」といえる司法判断が示されることを願ってやみません。

3度にわたる「棄民(きみん)」

 中国「残留邦人」(当時十三歳未満は「孤児」、それ以外は「婦人等」と区別される)は、戦前から戦中にかけ、国策で中国東北部(旧満州)に移住し、一九四五年の終戦のさい、置き去りにされた人たちです。

 政府は、多数の「残留邦人」の存在を知りながら長年放置し、本格的な帰国が始まったのは、終戦から四十年を経た八〇年代後半でした。

 五千人を超える帰国者への生活支援はきわめて不十分でした。厚生労働省の調査でも、「孤児」の47%、「婦人等」の22%が日本語をほとんど理解できない状態のまま投げ出され、就労はきわめて困難でした。受給している年金は、月三万円未満が51・2%。全体の六割以上の世帯が生活保護を受給していることが示すように、政府の自立支援策は完全に失敗しています。

 失われた長い人生は取り戻せないにせよ、同じ日本人として「残留邦人」の過酷な体験に心を寄せるべきです。しかし、政府が取った態度はそうではありませんでした。

 「奪われた人権を回復するために」と「残留婦人」が国家賠償請求訴訟を提起したのは二〇〇一年十二月。「残留孤児」も翌年には全国的に集団訴訟を起こし、帰国した「孤児」の九割近い二千百九十二人が原告に加わっています。今後、各地で判決が相次ぐことになります。

 司法の判断もゆれています。

 「残留孤児」の最初の判決として注目された大阪地裁判決(〇五年七月)は、原告側の主張をすべてしりぞけました。しかし今年二月、「残留婦人」の国家賠償請求訴訟で東京地裁が下した判決は、請求を棄却したものの、国には早期帰国実現と自立支援の責務があり、国の施策に怠慢があったと判断。大阪地裁と比べても、原告に理解を示しています。

 原告側は「孤児」の共通の怒りのもとは、国による三度の「棄民」政策にあると主張しています。

 (1)終戦のさいに老人、女性、子どもを中国に置き去りにした(2)一九五九年の特別立法で戦時死亡宣告し、身元調査、帰国援助等を一切打ち切った(3)永住帰国が本格化した後も適切な自立支援策がなく、日本語の習得が不十分なまま就労をせかされ、年金もなく、制約の多い生活保護に追いやった―という問題です。

 裁判の結果が、四度目の「棄民」になることがあってはなりません。

祖国で不安ない老後を

 厚労省の調査にたいしてでさえ「孤児」の16%、「婦人等」の8%が帰国を「後悔している」と答えています。祖国を慕う気持ちを支えに苦難を乗り越えてきた人たちが、棄てられ続けることで、この国を愛せずにいます。「苦しみは私たちを最後に。戦争だけはいやです」という「残留婦人」の悲痛な訴えをも、この国の政府は裏切ろうとしています。

 いま必要なのは、「残留邦人」の悲劇を受け止め、侵略戦争への反省と「二度と戦争はしない」という決意を、国づくりの土台に据え直すことです。政府と国会は、「祖国で不安のない老後を」という「残留邦人」の切実な願いに応え、実効ある補償制度の確立に踏み出すべきです。


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