2006年5月25日(木)「しんぶん赤旗」

教育基本法改悪法案をただす
志位委員長の質問(大要)


 日本共産党の志位和夫委員長が、二十四日の衆院教育基本法特別委員会でおこなった総括質疑(大要)は次のとおりです。


なぜ改正が必要か――政府は説明をしていない

写真

(写真)質問する志位和夫委員長=24日、衆院教育基本法特別委

 志位委員長 私は、日本共産党を代表して、小泉首相に質問いたします。

 教育基本法は、すべての教育関係の法律の根本にある、憲法に準じた大切な法律であります。にもかかわらず、政府からは、なぜ教育基本法の改定が必要かについて、まともな説明はなに一つされていないと思います。

 ここに高知新聞が出した社説があります(社説を掲げる)。「教基法改正 荒廃は解決できない」と題する社説です。

 「改正を主張する人たちは、いじめや不登校などの教育荒廃、少年による凶悪犯罪などと基本法を絡める。……だが、それらの問題と基本法を結び付けるのは筋違いだ。基本法をきちんと読めば分かる。……第一条は、教育の目的をこううたっている。『人格の完成』、言い換えれば『人間的な成長』に目的を置いているのであり、教育の使命としてこれ以上のものがどこにあるというのだろう。教育をめぐるさまざまな問題は、基本法の施行から59年間、目的実現への努力が十分ではなかったために起きているのではないか」

 私もそのとおりだと思います。教育の危機の根源は、教育基本法ではなく、その理念をふみにじってきた自民党政治にあるのではないか。それを教育基本法にもとめ、その全面改定をはかることは、教育の危機をいっそうひどくするものではないか。以下、具体的に問題をただしていきたいと思います。

特定の価値観の強制は、内心の自由を侵害する

首相 強制の意図は全くない

志位 東京では常軌を逸した「日の丸・君が代」強制をしている

 志位 第一の問題は、内心の自由にかかわる問題であります。

 政府の改定案は、新たに第二条をつくり、そこに「国を愛する態度」など二十におよぶ「徳目」を「教育の目標」として列挙し、その「達成」を学校や教職員、子どもたちに義務づけるとしています。

 ここにあげられている「徳目」それ自体には、当然のことのようにみえるものもあります。しかし、それを法律に「目標」として書き込み、「達成」が義務づけられれば、時の政府の意思によって、特定の内容の価値観を、子どもたちに事実上、強制することになります。

 総理にうかがいたい。これは憲法一九条が保障した思想・良心・内心の自由を侵害することになるのではないですか。端的にお答えください。

 小泉純一郎首相 憲法第一九条は、私も引用したことがございます。「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」。どこの神社に参拝するのも、これは心の自由である。かつて引用した第一九条であります。

 私は、共産党の志位さんから、この教育基本法改正、これが精神の自由とか心の自由を奪うとか、国が強制するのではないかという懸念を表明されるのには、ちょっと違和感を感じるのです。日本は、自由で民主的な国であります。かつてのソ連や、一党独裁の、宗教の自由も認めない、言論の自由も認めない、そんな国じゃありません。十分、国民の精神の自由を認め、宗教の自由も認め、そして六十年間たったこの教育基本法、時代も大きくかわっている。であるから、一つの観念を、価値観を強制するために、この教育基本法を改正するという、そういう意図はまったくありません。

 志位 要するに、内心の自由を侵害するものではないという答弁だったと思います。

 (旧)ソ連の問題をお出しになりましたけれども、ああいう体制は、私たちは社会主義とみなしておりません。そのことをはっきり申し上げておきたいと思います。

 内心の自由を侵害するものでないと総理はおっしゃった。一九九九年に、「日の丸・君が代」を法制化したときにも、政府は同じ答弁をしました。しかし、教育の現場はどうなっているか。

 東京都では、卒業式や入学式で常軌を逸した「日の丸・君が代」の強制がされ、そして「君が代」斉唱に起立しなかった生徒が多かったクラスや学校では、校長先生や担任の先生が「指導不足」として責任を問われる事態もおこっているのです。

「国を愛する心情」を通信表で評価するのは間違っている

首相 評価するのは難しい

志位 法律で義務化すれば全国で横行する

 志位 総理に具体的にただしたい問題があります。これは、二〇〇二年度に、福岡市内の小学校で使われた通信表であります。これを総理にも一部お渡ししたいのですが、よろしいでしょうか。(首相に手渡す

 これをみますと、社会科の評価の筆頭に「我が国の歴史や伝統を大切にし国を愛する心情をもつとともに、平和を願う世界の中の日本人としての自覚をもとうとする」というのがあります。

 要するに、愛国心が評価の対象とされています。そして三段階で評価がされています。「A」は「十分に満足できる」、「B」は「おおむね満足できる」、「C」は「努力を要する」。こういう三段階評価です。

 先日、ある民放テレビでも、この問題を取り上げた特集番組が放映されました。多くの教師が、これをつきつけられてたいへん悩んでいる姿が映し出されました。ある教師は、「愛国心といわれても評価できない」と悩み、ある教師は、「愛国心の評価のために児童に感想文を書かせることを考えたが、子どもはわざわざ教師からよく思われないことは書かないので、逆に、裏表のある人間をつくることになる」。こういう悩みを語っていました。

 そして、受け取った児童の保護者からは、「あなたの愛国心はA級ですよ、B級ですよ、C級ですよとランク付けされ、A級日本人になるように家で教育しなさいといわれている気がします」という強い批判ものべられました。

 この福岡市の「愛国心通信表」は、市民の強い批判で、翌年からすべての学校で取りやめになりましたが、総理にうかがいたい。子どもたちの「国を愛する心情」を、通信表で評価するというのは、私はやってはならない、間違ったことだと考えますが、総理のお考えを端的にお話しください。

 首相 通信簿なんていうのは六十年、五十年ぶりにしか見たことないのだけど、社会で「我が国の歴史や伝統を大切にし国を愛する心情をもつとともに、平和を願う世界の中の日本人としての自覚をもとうとする」。これが小学校ですか。ちょっと難しすぎますね。教師を評価するのとは違って、これではなかなか子どもを評価するのは難しいと思いますね、率直にいって。いまは、これは使われていないと聞いております。

 志位 そうすると、これは評価が間違いだと、難しいうんぬんではなくて、評価することが間違いだと、やってはならないということですか。はっきりお答えください。

 首相 私は間違いかどうかという以前に、こういうことで小学生を評価することは難しいと。あえてこういう項目を持たなくてもいいのではないかというのが率直な感想であります。

 志位 難しいということで、評価の是非についてはおのべになりませんでしたが、もともとこの通信簿にこういう項目が入ったのは、二〇〇二年に始まった(文部科学省の)「新学習指導要領」で「国を愛する心情を育てるようにする」ということが書きこまれた、それがきっかけなのです。そしてあなた方は、その「学習指導要領」に書いてある「徳目」を、今度は法律に格上げしようとしているわけです。ですから、たいへん難しいと総理もお認めにならざるをえなかったようなことを、法律に書きこんで義務化すれば、これは日本中で福岡市でやったようなことが横行する危険があるということをいわなければならないと思います。

 わが党は、教育のなかで民主的な市民道徳を培うことを重視しています。その一つとして、諸国民友好の精神にたった愛国心を培うということも重要だと考えています。しかし、市民道徳というのは法律によって強制され義務づけるべきものではありません。それは、一人ひとりの子どもたちの「人格の完成」をめざす、教育の自由で自主的な営みを通じて培われるべきものだと考えます。

 わけても、何を愛するかというのは、個人の精神の最も自由な領域に属するものであって、国家が強制すべきではないということを申し上げておきたいと思います。

図

(写真)福岡市内のある小学校で2002年度に使われた6年生の通信表盜社会科の中に愛国心をABC3段階で評価する項目がある

「国民全体に直接責任を負って」をなぜ削除したのか

文科相 法律の範囲内で(教育内容を)きめることは国の権能

志位 国が教育内容に無制限に介入するのは憲法に背反する

 志位 第二の問題にすすみます。

 現行基本法の第一〇条には「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」と明記しています。ところが政府の改定案は、「国民全体に対し直接に責任を負って」を削除しております。だれが考えても当たり前のこの文言をどうして削除されたのですか。お答えください。

 小坂憲次文部科学相 これは最高裁の判決に基づきまして、「不当な支配に服することなく」ということが法律の規定に基づいて行われるものである場合には、これは国の権能の範囲内であるということが認められ、それを踏まえたうえで、削除させていただいたものでございます。

 志位 要するに、いまの答弁は、法律さえ決めれば、国が教育内容に無制限に介入できるようにすることが、一〇条を変える趣旨だという答弁だったと思います。その根拠として、いま大臣は、一九七六年の最高裁大法廷の「学力テスト判決」を引用されました。ここに判決の全文がありますが(判決を示す)、この判決では、憲法と教育の関係についてこのようにのべております。

 「教育内容にたいする国家的介入についてはできるだけ抑制的であることが要請される」。こうのべているのです。

 ですから、国が、法律さえつくれば、教育内容に無制限に介入できるかのような立場というのは、憲法が保障する教育の自由にも反するし、最高裁の判決にも背反するということを指摘しておきたいと思います。

一斉学力テストと学区廃止で、新入生ゼロの学校が生まれている

首相 一斉学力テストが なぜいけないのか

志位 競争や序列化が起きているのに、まったく自覚がない

 志位 そのうえで私は、具体的な問題をうかがいたい。

 政府が、基本法を改定し、新たにつくる「教育振興基本計画」に盛り込んで、まっさきにやろうとしていることは何か、という問題であります。

 総理は、本会議での答弁で、来年度に全国一斉学力テストを実施するとおのべになりました。小学校六年生と中学校三年生のすべての児童・生徒に、国語、算数・数学のテストを全国一斉に受けさせ、すべての学校と子どもに成績順の序列をつけようというものであります。

 この間、全国のいくつかの自治体では、独自に一斉学力テストを実施していますが、それが現場にどんな矛盾を引き起こしているのか、総理はご存じでしょうか。

 たとえば東京都では、都独自に、さらに区や市独自に、一斉学力テストを実施し、少なくない区や市では、その結果を学校ごとに順位をつけて公表しています。これが小中学校の学区制廃止とセットで進められています。その結果どういうことがおこるか。新入生がいわゆる「成績上位校」に集中します。逆に、新入生がゼロの学校も生まれているのですよ。都の教育委員会に調べてもらったら、荒川、文京、墨田の小中学校で、新入生ゼロの学校が生まれているのです。新入生を迎えるのが楽しみのはずの四月に入学式がない。これがその学校の子どもたちにどのような心の傷になっているか。私ははかりしれないものがあると思います。

 そこで総理に問いたい。これは教育にかんする基本的な認識の問題として問いたいと思います。こういう一斉テストで学校と子どもに序列をつけ、「勝ち組」「負け組」にふりわける――これが現場でおこっていることなのです。そして教育基本法改定を推進してきた元教育課程審議会会長の三浦朱門氏はこういいました。

 「できん者はできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養ってもらえればいいんです」

 ここまでいったのですよ。ですから、総理に基本的な教育観をうかがいたい。子どもたちを競争においたて、序列をつけて、ふるいわけする、こういうやり方が、教育として好ましいと考えますか。それともただすべき大問題があるとお考えになりますか。端的にお答えください。

 首相 学力テストがいけないとは私は思いませんね。学力テストは、学校の格差をつけるとか、あるいは生徒に特別な負担を強いるとかじゃなくて、“読み、書き、そろばん”というように、基礎的な学力は子どもたちにつけてもらわなきゃならない。できない子にたいしてはできるように、分からない子には分かるように教えるという、習熟度別授業にたいして、私は必要だといっているのです。共産党はそれは必要ないといっているのでしょうけれども。できる子はどんどん、先生がそんなによくなくたって自分で勉強するでしょう。しかし、先生によっては教え方の上手、下手があります。分からない授業を次の上のレベルにするためには、ある段階を理解しないとますます分からなくなるから、それをていねいに教えてもらうような環境をつくることが必要だ。

 そして、学力テストを一斉にやるのはどうしていけないのですか。ある学校では同じ問いにたいして、同じテストにかんしてこういう成績を上げた。ある学校ではこういう成績を上げた。おかしいなと思ったらもっと学力をあげるような努力をする一つの資料ができるじゃないですか。それがどうしていけないのですか。私はそれは理解できません。そして、できるだけ、基礎的な“読み、書き、そろばん”については、多くの子弟が社会に出て困ることのないような学力をつけよう。これが教育のあり方じゃないでしょうか。

 志位 学力テスト一般を私たちは否定しているわけではありません。抽出的に調査をして実態がどうなっているかということを調べることはあるでしょう。しかし、全国一斉にすべての子どもにたいしてやる必要はない。それをやったら、こういう競争や序列化がおこることを私は指摘したのに、あなたはまったくそれにたいする自覚がない。

 ここに首相が議長をつとめる経済財政諮問会議に、前の文科大臣の中山成彬氏が提出した資料があります。なんのために、全国一斉学力テストをやるのか。「競争意識の涵養(かんよう)」のためだといっています。もっと競争に追いたてるために学力テストをやるといっています。

 しかし、日本の教育における過度の競争主義の問題というのは、国連の子どもの権利委員会から繰り返し批判されています。一九九八年の勧告では、「高度に競争的な教育制度のストレス」で「児童が発達障害にさらされている」と批判されている。二〇〇四年の勧告では、にもかかわらず、「十分なフォローアップが行われなかった」と批判されている(別項)。この国連の勧告にもまったく逆行する、競争のあおりたてだと私は思います。

図

(写真)2004年11月4日の経済財政諮問会議に中山成彬文科相が提出した資料。「義務教育の改革」として「競争意識の涵養(かんよう)、全国学力テスト実施」を掲げている

教育基本法を生かした教育改革こそ求められている

 志位 首相は、習熟度別学級でなんで悪いのだといいましたけれど、フィンランドは、学力水準世界一といわれている。これは、競争教育を一掃して、どの子にも分かるまで教えるようにしたこと。そして、二十人学級など少人数学級をやったこと。先生の自由を尊重したこと。この三つでやっているのですよ。(日本の)教育基本法はそのときのお手本とされた。

 それを生かした教育改革こそ必要であって、私は、憲法をふみにじって「愛国心」を強制し、子どもたちを競争においたてて、「勝ち組」「負け組」にふりわけるというこの法改悪は、徹底審議の上、廃案にするしかないということを強く主張して質問といたします。(拍手)


 一九九八年の国連児童の権利委員会からの日本に対する勧告

 「児童が、高度に競争的な教育制度のストレス及びその結果として余暇、運動、休息の時間が欠如していることにより、発達障害にさらされていることについて…懸念する」「過度なストレス及び登校拒否を予防し、これと闘うために適切な措置をとることを勧告する」

 二〇〇四年の国連児童の権利委員会からの日本に対する勧告

 「学校制度の過度に競争的な性格…に関する勧告については、十分なフォローアップが行われなかった。委員会は、本文書において、これらの懸念及び勧告が繰り返されていることについて留意する」「教育制度の過度に競争的な性格が児童の心身の健全な発達に悪影響をもたらし、児童の可能性の最大限な発達を妨げること…について懸念する」


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