2006年5月18日(木)「しんぶん赤旗」

民団と総連トップ会談

南北の和解うけ進展


 日本の植民地支配から解放されて以降、南北に分断された朝鮮半島。二つの政権の対立は在日韓国・朝鮮人社会にも波及し、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)と在日本大韓民国民団(民団)の対立が続いてきました。

 転機になったのは「南北の融和の流れ」(朝鮮総連関係者)です。

 二〇〇〇年六月、韓国の金大中大統領(当時)と北朝鮮の金正日総書記が分断後初の首脳会談をし、民族の和解と統一に向けた共同宣言を発表。共同宣言にうたわれた離散家族の再会や経済協力をはじめ、南北の融和が進みました。

 〇三年には、非武装地帯を縦断し金剛山に向かう道路が開通し、〇四年からは南北共同事業の一つである開城工業団地も稼働。朝鮮戦争中に断絶した鉄道も連結工事が完了し、今月二十五日には試験走行が行われます。

 韓国の盧武鉉大統領は、「制度的、物理的支援は条件なしでやろうと思う」(九日、モンゴルで)と述べるなど、北朝鮮支援に積極的。「いつ、どこで、どんな内容でもいいから会って話をしよう」(同)と呼びかけるなど二度目の南北首脳会談にも前向きで、六月には金大中前大統領が特使として訪朝することが決まっています。

 こうした融和ムードのなか、在日社会の和解も進展。地方レベルでは民団と朝鮮総連が協力する場面も増えました。

 今年二月には、民団の新団長に「在日同胞の和合」を掲げる河丙ト氏が就任。河団長が就任直後の会見で「必要なら朝鮮総連を訪問して、対立解消、和解に向け協議する」と述べるなど、和解に向けた強い意思を表明してきたことも会談実現の弾みになりました。(中村圭吾)


在日本大韓民国民団(民団)と在日本朝鮮人総連合会(総連)

 戦前、日本の植民地支配により生きるすべを失って日本本土に移住した人々や、日本各地の炭鉱や工事現場、軍需工場などに強制的に動員された朝鮮半島出身者は、一九四五年の日本の敗戦直後には二百三十万人にのぼりました。

 祖国解放後、多くは帰国し半年後には六十五万人に減少しましたが、過酷な生活を強いられた在日の人々は帰国事業や生活擁護のために各地で自治団体を組織し、それらを糾合して在日本朝鮮人連盟が結成されました。

 米ソによる朝鮮半島の南北分断占領を背景に、四六年には現在の在日本大韓民国民団(民団)の前身である在日本朝鮮人居留民団が、四八年の朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の建国を受けて五五年には在日本朝鮮人総連合会(総連)が、それぞれ結成されました。

 両団体は在日同胞の権利擁護を掲げると同時に、民団は韓国を本国とし、総連は自らを北朝鮮の海外同胞団体であると規定しています。

 韓国・北朝鮮の南北首脳会談がおこなわれた二〇〇〇年には初めて、民団、総連の両代表がそろって日本共産党第二十二回大会に来賓として出席しました。


民団と総連の共同声明大要

 在日本大韓民国民団(民団)と在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)が十七日発表した「五・一七共同声明」の大要は以下の通り。

 民団と朝鮮総連は会談で、六・一五共同宣言が明らかにした「わが民族同士」の理念に従い、民族的団結と統一に向かう民族史の流れに沿って、両団体間で長い間続いてきた反目と対立を和解と和合に確固として転換させることを互いに確認した。

 民団と朝鮮総連は新時代の要求と同胞の志向に沿って仲むつまじく豊かな在日同胞社会を立派に建設し、二十一世紀に祖国の統一と繁栄のための民族的偉業に大きく貢献していく意志を表明しつつ、次のように合意した。

 一、両団体の和解と和合を成し遂げ、在日同胞社会の民族的団結のために互いに力を合わせて協力していく。

 二、六・一五南北共同宣言を実践するための民族的運動に積極的に合流し、六・一五民族統一大祝典に日本地域委員会代表団のメンバーとして参加する。

 三、八・一五記念祝祭を共同で開催する。

 四、昨今、在日同胞社会で民族性が希薄化し失われる現象が増えている深刻な現実に目を向け、民族性を固守し発揚させるために新しい世代の教育と民族文化の振興などの事業に共に努力していく。

 五、同胞社会の高齢化、少子化対策をはじめ諸般の福祉活動と権益の擁護、拡大のために互いに協調していく。

 六、以上の合意事項を履行し、両団体の間で提起される問題を解決するために窓口を設置して随時協議していく。


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