2006年5月16日(火)「しんぶん赤旗」
子どもたちのすこやかな成長をねがうみんなの声と運動で、教育基本法改悪をやめさせよう
2006年5月15日 日本共産党
日本共産党が十五日に発表した教育基本法改悪反対のアピール(全文)は次のとおりです。
小泉内閣が国会に提出した教育基本法改定案の審議が始まります。この法律の制定(一九四七年)以来初めてのことです。国民の関心の高い教育にかかわる重大な内容をもつ法案であり、日本共産党は徹底審議をつうじて廃案にすることを強くもとめてたたかいます。
教育基本法を変える「理由」を、政府は説明していません
教育基本法は「教育の憲法」といわれるほど重みのある法律です。
政府は、基本法を全面的に改定する理由として、「時代の要請にこたえる」ためといっています。ところが、政府の文書のどこをみても、現在の基本法のどこが「時代の要請」にこたえられなくなっているのか、一つの事実も根拠もあげられていません。
改定案づくりを推進してきた自民党、公明党の幹部たちは、少年犯罪、耐震偽装、ライブドア事件など、社会のありとあらゆる問題を教育のせいにして、「だから教育基本法改定を」といっていますが、これほど無責任な言い分はありません。
いま、子どもの非行やいわゆる学校の「荒れ」、学力の問題、高い学費による進学の断念や中途退学、子どもや学校間の格差拡大など、子どもと教育をめぐるさまざまな問題を解決することを国民は願っています。
しかし、これらの問題の原因は、教育基本法にあるのではなく、歴代の自民党政治が、基本法の民主主義的な理念を棚上げにし、それに逆行する「競争と管理の教育」を押しつけてきたことにこそあります。
法律で「国を愛する態度」などの「徳目」を強制することは、憲法に反します
政府の改定案のなによりも重大な問題は、これまでの、子どもたち一人ひとりの「人格の完成」をめざす教育から、「国策に従う人間」をつくる教育へと、教育の根本目的を百八十度転換させようとしていることです。
政府の改定案は、基本法に新たに第二条をつくり、「教育の目標」として、「国を愛する態度」など二十におよぶ「徳目」を列挙し、その「目標の達成」を学校や教職員、子どもたちに義務づけようとしています。そのことは、改定案の第五条(義務教育)でも、第六条(学校教育)でも、さらに具体的に明記されています。ここにあげられている「徳目」それ自体には、当然のことのようにみえるものもあります。問題は、それを法律に書き込み、政府が強制することが許されるのかということにあります。
法律のなかに、「教育の目標」として詳細な「徳目」を書き込み、「○○の態度を養う」としてその「達成」が義務づけられ、学校で具体的な「態度」が評価されるようになったらどうなるでしょう。時々の政府の意思によって、特定の内容の価値観が子どもたちに強制され、子どもたちの柔らかい心が、政府がつくる特定の鋳型にはめこまれてしまうことになります。これが、憲法一九条が保障した思想・良心・内心の自由をふみにじることになることは明らかです。
日本共産党は、子どもたちが市民道徳をつちかうための教育を重視し、その具体的な内容を「十の市民道徳」として提唱してきました。その一つに「他国を敵視したり、他民族をべっ視するのではなく、真の愛国心と諸民族友好の精神をつちかう」ことをかかげています。これらは憲法と教育基本法の平和・民主の原則からおのずと導き出されるものであり、「人格の完成」をめざす教育の自主的な営みをつうじて、つちかわれるべきものです。市民道徳は、法律によって義務づけられ、強制されるべきものでは、けっしてありません。
すでに東京都では、政府が国会で「強制はしない」と言明していたにもかかわらず、これを乱暴に無視して、「日の丸・君が代」の強制がおこなわれています。「君が代」を歌わない先生を処分する、さらに「君が代」を歌わなかった生徒が多いクラスの先生を処分するという、無法な強制をエスカレートさせています。
基本法が改定されるなら、こうした強制が全国に広がるだけでなく、一人ひとりの子どもたちが「国を愛する態度」を、「君が代」を歌うかどうか、どのぐらいの大きさの声で歌うかで「評価」され、強制されることなどがおこりかねません。教育の場に、こんな無法な強制を横行させてはなりません。
現在の教育基本法は、教育の目標として、事細かな「徳目」を定めるということを一切していません。教育とは、人間の内面的価値に深くかかわる文化的営みであり、その内容を法律で規定したり、国家が関与したりすることは、最大限抑制すべきだからです。その抑制をとりはらって、国家が「この教育目標を達成せよ」と命じることは、戦前・戦中、「教育勅語」によって十二の「徳目」を上から子どもにたたきこみ、軍国主義をささえる人間をつくったやり方と同じではありませんか。
教育への権力統制が無制限となり、教育の自主性と自由が根底からくつがえされます
政府の改定案は、この法律が定める「教育の目標」を達成するために、教育にたいする政府の権力統制・支配を無制限に拡大しようとしています。
現在の教育基本法は、「教育の目的」について、「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」と定めています(第一条)。そして、この「教育の目的」を実現するためには、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って」おこなうとし、国家権力による教育内容への「不当な支配」をきびしく禁止しています(第一〇条)。さらに、「学校の教員は、全体の奉仕者」として、国民全体に責任をおって教育の仕事にたずさわることを原則にしました(第六条)。
これらは、戦前の教育が、国家権力の強い統制・支配下におかれ、画一的な教育が押しつけられ、やがて軍国主義一色に染め上げられていった、歴史の教訓に立ってつくられたものです。
ところが改定案は、「国民全体に対し直接に責任を負って」を削除し、「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」に置き換えています。「全体の奉仕者」も削っています。さらに政府が「教育振興基本計画」によって教育内容を、数値目標をふくめて詳細に決め、実施し、評価することができるとしています。要するに国が法律で命じるとおりの教育をやれ、政府が決めたとおりの計画を実行せよというのです。こうして改定案は、政府による教育内容への無制限な介入・支配に道を開くものとなっています。
それでは、どういう教育を強制しようというのでしょう。改定案が、子どもたちに強制しようとしているものは、「国を愛する態度」などの「徳目」とともに、競争主義の教育をもっとひどくすることです。
文部科学省におかれた中央教育審議会は、基本法を変えていちばんやりたいこととして、「振興計画」に「全国学力テスト」を盛り込んで制度化することをあげています。かつて一九六一年から六四年にかけておこなわれた全国一斉学力テストは、子どもたちを競争に追い立て、学校を荒らし、国民的な批判をあびて中止に追い込まれました。最近になって、一部の地域で「いっせい学力テスト」が復活しましたが、同じような矛盾が噴出しています。これを全国いっせいに復活させようというのです。
もともと教育の自主性、自律性、自由を尊重するというのが、憲法第一三条の幸福追求権、一九条の思想・良心・内心の自由、二三条の学問の自由、二六条の教育を受ける権利など、憲法がもとめる大原則です。そのことは、国家権力の教育への関与のあり方が問われた「学力テスト旭川事件最高裁判決」も認めていることです。教育への権力的統制・支配を無制限に広げる基本法改定は、憲法の民主的原理を根本から蹂躙(じゅうりん)するものです。
「海外で戦争をする国」「弱肉強食の経済社会」づくり ――この二つの国策に従う人間をつくるのがねらいです
教育基本法を全面的につくり変えるねらいは、どこにあるのでしょうか。
基本法改定は、憲法を変えて「海外で戦争をする国」をつくろうという動きと一体のものです。憲法改定をすすめる勢力のいう「愛国心」とは、「戦争をする国」に忠誠を誓えというものにほかなりません。そのために教育を利用しようというのです。それは、前文から、憲法と教育基本法とが一体のものであることを明記したことばを削除し、「平和を希求する人間」の育成という理念を取り去っていることからも明らかです。
また、日本の政府・財界は、教育の世界をいっそう競争本位にして、子どもたちを早い時期から「負け組・勝ち組」に分け、弱肉強食の経済社会に順応する人間をつくることを狙っています。その考え方は、「落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける」、「限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいい」(三浦朱門・元教育課程審議会会長)などという発言にはっきりとあらわれています。
教育基本法改定は、「海外で戦争をする国」「弱肉強食の経済社会」づくりという二つの国策に従う人間をつくることを、狙いとしています。日本共産党は、こうしたくわだてにきびしく反対します。
教育基本法の改定をやめさせることは日本の進路にかかわる国民的課題です
憲法と一体に制定された教育基本法は、日本が引き起こした侵略戦争によって、アジア諸国民二千万人以上、日本国民三百万人以上の痛ましい犠牲をつくったことへの、痛苦の反省にたったものです。かつて天皇絶対の専制政治が、子どもたちに“日本は神の国”“お国のために命をすてよ”と教えこみ、若者たちを侵略戦争に駆り立てたことを根本から反省し、平和・人権尊重・民主主義という憲法の理想を実現する人間を育てようという決意に立って、日本国民は教育基本法を制定したのでした。
教育基本法の改悪は、子どもたちの成長に深刻な悪影響をおよぼすとともに、わが国の平和と人権、民主主義にとってきわめて重大な危険をもたらすものです。それは、憲法の平和と民主主義の理念に反する暴挙です。
このくわだてにたちむかい、阻止することは国民的な意義をもつ課題です。子どもと教育の現状に心を痛めるすべてのみなさん、平和と人権、民主主義を大切にしようと願うすべてのみなさん、ともに手をたずさえ、教育基本法の改悪をやめさせるために国民的運動を急速に起こそうではありませんか。