2006年5月7日(日)「しんぶん赤旗」
主張
裁判員制度
国民が参加しやすい制度に
司法に国民が参加する「裁判員制度」が二〇〇九年にはじまります。
裁判の判決が国民の常識とかけ離れていたり、罪のない人が有罪になる冤罪(えんざい)が数多く発生する原因の一つに、試験に合格して研修後、社会経験の少ないまま裁判官になる「キャリア裁判官制度」があげられます。これをあらためるうえで、刑事裁判に国民が参加する裁判員制度は大きな意義をもつものです。
依然参加にためらい
制度の実施を前に、最高裁が最近おこなった国民のアンケート調査結果は、実施にむけた多くの課題を浮かび上がらせています。
新たな裁判制度に理解は示しながらも、みずから裁判員として出廷することに消極的な国民が六割にのぼります。内閣府が昨年二月におこなった調査の七割に比べ前進があるものの、依然高率です。
参加をためらう理由では「日程調整が大変」が一位で65・3%。以下「心理的に不安」「裁判所にいくまでの移動が大変」「金銭上の負担」「健康や体調が心配」がならびます。
サラリーマン層からの回答では、裁判参加の障害をとりのぞくために「会社の経営者や幹部の間に裁判員制度への理解を広める」「(裁判で)休んだ場合は会社が有給休暇扱いにする」「収入減少の場合に経済的補償をする」という対策を求める声がいずれも六割にのぼります。
子育てやお年寄りの介護をしている人の声も切実です。「必要なときに介護・育児施設を利用しやすくする」「施設利用の場合経済的補償をする」などの要望があがっています。
一般的な社会的理解を広めるにとどまらず、経営者の意識をかえること、施設の拡充や経済的支援、社会的な環境をつくることが必要です。
日程調整の困難をあげる人が多いことから、裁判の開催方法に工夫をするなど、裁判員の参加しやすいあり方をよく検討すべきです。
裁判員の心理的な不安にもこたえるべきです。有罪・無罪の判断がむずかしい、人を裁くのはいやだなど、新しい制度にさまざまな不安がもたれるのは当然です。
調書を検察官が読み上げる形で進行することが多い書面中心主義から裁判員が法廷で証言を実際に見聞きして判断できる口頭主義にあらためること、なじみの薄い法律用語の言い換えなど、裁判を身近でわかりやすいものにする必要があります。
国民が裁判官のお手伝いをするような制度ではなく、対等で、自由に本人の意見をのべることができる制度をどう保障するのか、国民が主人公といえる裁判制度にするうえで知恵のしぼりどころです。
「お上(かみ)のこと」でなく
日本共産党は裁判への国民参加の実現を主張してきました。
日本でも戦前の一時期、一部の国民が裁判に参加する陪審員制度が実施されたことがあります(現在も効力を停止したまま法律は残っています)。大正デモクラシーの時期にこの制度が導入されるさい、当時の原敬首相は、議会や選挙の制度がつくられたことと対比して「独り司法制度は何等(なんら)国民の参与を許されざりき」と批判しました。司法だけがいつまでも「お上(かみ)のなさること」であっていいはずがありません。
欧米諸国でも、それぞれの歴史や特性を持ちながら、司法への国民参加をはかってきました。日本の司法に裁判員制度を根付かせるため、政府は、裁判員に指名された人が心おきなく参加できるよう制度の充実に力を尽くすべきです。