2006年5月5日(金)「しんぶん赤旗」
主張
こどもの日
憲法と教育基本法を宝として
「学校の空気が嫌いだ」と、小学校入学後まもなく登校できなくなった少女。五年生になり再び学校に通いだすようになったのは、「なんだか、家にいるような、ふんわりとした、安心感のある授業」の雰囲気とかかわっているといいます。そんな“心配から安心へ”の記録を少女とお母さん、担任でまとめた本(『不登校からの旅立ち』旬報社)を読むと、教育という仕事は、子どもの内面の葛藤(かっとう)に働きかけ、自主性を促す精神的文化的な営みだと改めて実感させられます。
子どもと教育をめぐる困難と格闘しながら日々努力する全国各地のさまざまなとりくみに、励まされます。
平和を手渡したい
一九五一年五月五日、「われらは、日本国憲法の精神にしたがい」に始まる児童憲章が制定されたように、こどもの日は、国民主権、戦争の放棄、基本的人権を定めた憲法の精神と結びついています。
平和がなければ、「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」(こどもの日の目的)こともできません。憲法九条を改定して、日本を、「海外で戦争する国」につくりかえる動きがあるもとで、子どもたちに平和な日本と世界を手渡すために、いっそう力をつくしたいと思います。
児童憲章と同じように、「われらは、日本国憲法」で始まる法律があります。
教育の目的や方針などを定めた教育基本法です。政府は、この教育基本法の冒頭にある「日本国憲法」を削除する改定案を国会に提出しています。
現行法の始まりは次の文章です。
「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである」
憲法がめざす平和的で民主的な国づくりは、国民の不断の努力が必要であり、それは教育の力にかかっています。
政府の改定案は、ここから、「日本国憲法を確定し」と、憲法の「理想の実現は、根本において教育の力にまつべきもの」を削りました。
憲法と教育基本法には、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し」(憲法前文)、教え子たちを戦場に送った戦争教育の反省が込められています。
こうした反省の上にうちたてられた教育基本法の民主的原則を破壊しようというのが、政府の改定案です。
現行法がきびしく禁じている国家権力による教育内容への介入を公然とすすめる改変が行われようとしています。
たとえば、不登校からの子どもの立ち直りです。待つこと、安心して生活すること、本人が決めること、自己肯定感を育てること。こうしたことを大切にして、さまざまな場で子どもたちを支援しています。しかし、法律で不登校を何日までに何割減らせと命じられたらどうでしょうか。各地で行われている教育の営みがぶちこわしになってしまいます。
改悪を許さない
教育は、人類が長い歴史のなかで生み出した知識や技術、知恵と先人の努力を子どもたちに伝え、人格を形成する精神的文化的な仕事です。子どもの発達に即した学びをたすける責任をはたすために、お国のための教育への改悪を許すわけにはいきません。