2006年4月26日(水)「しんぶん赤旗」
あの子、なぜ居ないの
JR西脱線事故1年
遺族は納得してない
娘はまだ安らかに眠れない
娘は、なぜ死ななければいけなかったのか―。JR福知山線の脱線事故から一年。一人娘の中村道子さん(当時四十歳)を亡くした藤崎光子さん(66)=大阪市在住=が抱える喪失感、JR西日本への怒りは今も変わりません。
被害者ネット結成 藤崎 光子さん
JR福知山線の伊丹駅前、二十五日、午前九時十八分。追悼の鐘が鳴り響くなか、黙とうをささげました。
事故で人生が「完全に変わってしまった」という藤崎さん。事故後、被害者や遺族のつながりをと「4・25ネットワーク」を結成しました。これまでに集まった遺族は六十家族。遺族や被害者への呼びかけと交流、JR西日本との交渉をつづけています。
道子さんと二人で運営してきた印刷会社を閉め、ネットワークの活動に没頭しています。家族や仲間の支え、名も知らぬ全国の人たちの激励のなかで、「何とか乗り越えてきた」一年でした。
今でも、「なんであの子が居ないの?」と思い、言葉にならない寂しさにおそわれます。眠れない夜は、ネットワークの予定をあれこれと考えることで眠れるといいます。
「娘はまだ安らかに眠っていない」。JR西日本の対応に、「遺族は納得していない。亡くなった人たちも、なぜ自分が死ななければいけなかったのか、納得していないはず」といいます。
JR西日本は、ネットワークが要求しつづけている事故原因の説明にはいまだに応じていません。明らかになっていない真相。ミスや事故も減りません。
「亡くなった人への責任とともに、安全という社会への責任も果たしてほしい」。人生の残りの時間は、鉄道の安全のためにささげると決めた藤崎さん。「疲れても、しんどくても、くじけたらいけない。娘の死を無駄にしたくない」
伊丹駅前に設けられたメッセージボードに思いをつづった藤崎さん。澄み切った青色のボード。百七人の命が奪われた一年前の空色に、ハトが羽ばたきます。「JRは安全第一の企業になって」と。
(芦川章子)