2006年4月26日(水)「しんぶん赤旗」
“あなたを忘れない”
JR西脱線事故1年 犠牲者を追悼
「あの日を忘れない」―百七人が死亡し、五百五十五人が負傷したJR福知山線脱線事故から一年目の二十五日、福知山線沿線の各駅では「思いをつなぐ連絡会」の人たちがメッセージボードを設置し、「あの日の澄み渡っていた空」をイメージした手作りの「空色のリボン」を配りました。犠牲者を出した各大学や、現場に近い兵庫県尼崎市内では、追悼のコンサートや「夕べ」が開かれました。
事故発生時間の午前九時十八分。ほぼ同時刻に現場を通りかかった電車は、警笛を長く響かせました。献花台の前では喪服の人々が頭を下げて黙とうします。
献花台を訪れる人は途切れず、若者が目立ちます。中学校の同級生で事故で亡くなった佐々木麻美さんに、看護学校の二年生(19)は「患者さんをまかせてもらえるようになったよ」と献花台で近況報告しました。一緒に来た友人の男性(19)は、「今日また夢で脱線事故が起きて目がさめました。事故のことを考えると頭が真っ白になる」と言葉少なです。
龍谷大学二年の男性(19)は、高校の同級生で当時、神戸学院大一年だった片瀬朗さんに、「一年たったけど、天国で楽しくやってる?」と話しかけました。「事故の一週間前にみんなと一緒に焼き肉を食べたのが最後になりました。『大学どう』と聞いたら『友達がやっとできた。楽しくなりそう』と言っていたのに…」
現場から離れた尼崎駅前のメッセージボード。「ずっと友達だよ。何年たっても何十年たっても友達だった私をおぼえていてね」「あなたの優しい笑顔、忘れません」「これからも君と生きたい」。びっしりと書きこまれているのを見た若い女性が、花束を手に泣き崩れました。
「今日一日胸につけることで、事故を覚えていてほしい」…。尼崎駅の改札前では喪章を付けたJR職員が深々と礼をするなか、「空色のリボン」が配布されました。出勤途中のサラリーマンなどが次々と受け取ります。
「あの日にかえりたい。沿線に住むすべての人たちの思いです。今日は悲しい一日です」―新たなメッセージがボードに書き加えられました。