2006年4月24日(月)「しんぶん赤旗」
列島だより
思い出詰まった木造校舎
廃校 体験施設で再生
温水プール、図書館、宿泊や農業体験の施設……。「過疎化で廃校」と聞くと、わびしさが漂いますが、各地で廃校利用の施設が住民の交流や子どもたちの体験活動の拠点になっています。
天文台もつ星ふる学校
ボランティア、愛好家ら協力
栃木・塩谷町
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木造の小学校校舎が、天体観測もできる宿泊型体験学習施設・星ふる学校「くまの木」として再出発し、全国から注目を集めています。
栃木県の北部山間部に位置する塩谷町(しおやまち)は、日本名水百選に認定された「尚仁沢湧水(しょうじんざわゆうすい)」をいだく自然の宝庫です。ここにある町立旧熊の木小学校は百二十四年間、同町の「学びや」でしたが、一九九九年に廃校となりました。
校舎の有効利用は、町と町民らでつくる「検討委員会」で話し合いました。名称も公募で決めました。「星ふる学校」の名前のルーツは、二〇〇〇年に環境省などが実施した「全国星がよく見える場所」調査で、同校敷地で撮影した星座の観測データが最優秀と評価されたからです。
各教室は、テレビなどを備えた談話室、創立当時から廃校まで同校で使用されていた教科書や郷土品などを展示した資料室、和洋両タイプの宿泊部屋、食堂などに衣替えされ、体育館は体験学習場として利用。校庭には、施設のシンボルとなる直径三・五メートルの天文台ドームの中に、口径35センチの望遠鏡を設置しています。
県外利用者6割
宿泊者の約六割は東京など県外からの利用者で、一日に七十人宿泊できます。夏休みには一週間宿泊する親子連れもいるといわれ、今年の夏休みは、すでに予約でいっぱい。人気上昇中です。
廃校の有効利用で成功した事例として注目を集め、千葉県や福島県などの自治体が、視察に訪れています。
発足させたのは、NPO法人「塩谷町旧熊ノ木小学校管理組合」(遠藤正久理事長)。廃校から三年目の〇二年四月です。アマチュア天文家、大学生や地域ボランティアなどの協力を得て運営。今年度からは、子どもたちによる「くまの木自然クラブ」もスタートさせ、会報の発刊を始めました。
遠藤理事長は、市町村合併に伴う「合理化」による廃校の影響が大きいと指摘しながらも、施設「くまの木」の魅力について、「多くの子どもの思い出を詰め込んだ木造校舎で過ごし、星を見たり、田舎の風景にふれ、ゆったりとした時間を楽しめる所です」と言います。
公開講座を計画
七月一日には、天文学に興味をもつ県内の中高生を対象にした公開講座を計画。東京大学大学院の研究者が宇宙の姿を語ります。
同施設での体験学習メニューは、自然観察、農林業、伝統工芸、文化、郷土料理などに分かれ、天体教室をはじめ、バードウオッチング、炭焼き、木工芸、うどん打ち、絵手紙などができます。
問い合わせは、塩谷町旧熊ノ木小学校管理組合。0287(45)0061。
(栃木県・団原敬)
「明治・大正・昭和」三代の校舎
農業、料理 作り味わう
山梨・北杜
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甲府盆地の桜から二十日ほど遅れて、校庭の桜が満開です。校庭を散策するのは児童、生徒ではなく、県内外から訪れる大勢の観光客。山梨県北杜(ほくと)市須玉町(すたまちょう)・津金三代校舎ふれあいの里です。
廃校となった「明治、大正、昭和」の三つの時代に建てられた校舎(津金小・中学校)のおもかげを残して補修、改築されました。三つ並んだ校舎が人気を呼び、校舎ごとに地域の活性化に貢献しています。
明治校舎(写真右奥)は、一八七五年(明治八年)建設で、県下に五カ所しか残っていない藤村(ふじむら)式(洋式を取り入れた当時の最新の建築様式)建築です。須玉町歴史資料館として当時の教室がそのまま残されていて、訪れた人たちは木の机に彫られたいたずら書きなどをなつかしく見学していきます。
解体予定だった
八年前に改築された大正校舎は、農業体験施設です。当初は取り壊すことになっていました。当時のことを良く知る同町の元総務課長の坂本等さんによると、町議会で解体の予算も決まっていました。しかし、「思い出の詰まった母校を壊すのは忍びない」と地域の声が上がり、三つを並べて町の活性化に生かそうというアイデアに。「あの時、つぶさなくて良かった」と話します。
体験施設は、山梨名物のほうとうづくりが一番人気です。申し込んでおけば、地元のお年寄りが地元でとれた食材を使って一緒に作ってくれます。総合学習として首都圏の小学校が多く活用、毎年来る学校も増えているといいます。
昭和の校舎を使った宿泊施設「おいしい学校」(写真左)のオープンは二〇〇〇年。明治校舎の建設から百二十五年の歳月をへてのことです。ハーブ湯の温泉や焼きたてのパンが好評で、テラスのあるイタリアンレストランには、昼食時には列ができるにぎわいです。
高齢者の働く場
ほうとうづくりの指導には十人前後の高齢者を中心とした地元の人々が働いています。ほうとうづくりを手ほどきするお年寄りは「おいしいと喜ばれ、ちょっとした小遣いかせぎになって楽しい」と話しています。
「おいしい学校」の中には新鮮な野菜などの販売コーナーもあり、近隣の農家が出品しています。有名な清里高原に向かう国道141号から脇道に入って十分ほどです。
(山梨県・志村清)
急増する廃校 8割が再活用
廃校が増え始めたのは一九八〇年代半ばから。文科省の調査によると、一九九〇年代の廃校は毎年百五十校から二百二十校程度。合計二千百二十五校にのぼります。内訳は小学校七割、中学校二割、高校一割です。
二〇〇〇年代になるとぐっと増え、〇一年度三百十一校、〇二年度三百三十八校、〇三年度四百十四校、〇四年度五百五十五校とうなぎのぼりです。
統廃合計画のなかには地域住民の願いを無視したものも多く、住民ぐるみの反対運動も起きています。
文科省調査では、廃校した校舎や校庭の八割が活用されています。学校は地域のシンボル施設であり、廃校後、住民の交流施設(社会教育や社会体育施設)として再利用されているところが多くあります。農業や野外キャンプなどの体験活動に使われる施設もあります。
学校には地域住民の愛着があり、行政だけでなく住民・卒業生が運営に協力しているところもあります。