2006年4月8日(土)「しんぶん赤旗」
小沢執行部 何が問われる
重要法案にどう対処
「日本改造計画」いうが中身は
七日の民主党代表選で新代表に選出された小沢一郎氏は選挙に先立つ演説や就任後の会見で、「政権交代こそが日本の真の構造改革だ」と持論を展開し、「たたかいの先頭に立つ」と表明しました。小沢新執行部に問われるものは何か。
小沢氏は「日本はいま、でたらめな小泉政治の結果、屋台骨が崩れ、迷走を続けている。それを立て直すには、明確な理念と設計図が不可欠だ」と述べ、小泉政権との“対決”姿勢を示しました。外交面では「日米関係を基軸」とする一方、「アジア外交の強化」をあげ、靖国神社参拝で深刻なゆきづまりをみせる小泉外交との違いを見せようとしています。
問題は、小沢民主党が現実の政治で小泉政治とどう対決するのかです。
この立場は、公共サービスを切り捨てる「行革推進」法案や、国民皆保険制度を根本から突き崩す医療改悪法案などを政府・与党が今国会での成立を狙っているだけに、明日からでも問われます。
小沢氏は会見でこれらの法案の対応について問われ、「なんとなく観念的に反対だということは分かっていても、国民にアピールするためには考え方を分かりやすく出していかなければならない」と、明確な態度を示しませんでした。一方で小沢氏は「自民党との対立軸を明示していかなければならない」ともいっています。そうであるならば、現実の対応で明確に示すべきです。
小沢氏の掲げる政策の中身はどうなのか。
小沢氏は「十三年前に世に問うた『日本改造計画』をさらに具体化させ、新しい日本の設計図を国民に明示する著書を執筆中だ」と述べました。
『日本改造計画』で小沢氏は、規制緩和を徹底的にすすめ、消費税増税や小選挙区制の導入、憲法第九条に自衛隊保持・「国連指揮下」の海外派兵を明記する「第三項」の追加まで提案しました。いわば、いまその害悪が噴出している「新自由主義」路線や、海外派兵・憲法改悪のはしりとなった考えです。
その『日本改造計画』の立場をさらに具体化するというのであれば重大です。(高柳幸雄)
小沢氏のこれまでの発言
二大政党制・民由合併
民主党は、図体は大きいが、政権を任せるのは不安だし、自由党は、その主張はいいが、図体が小さく、政権には遠い。ですから、民主党の持っていないもの、自由党の持っていないものを、おたがいに補完しあう関係が必要だということでしょう(『政界』03年10月号)
保守の支持層にウイングを広げようということなんでしょう。日本人というのは基本的に保守的ですからほとんどが。いわゆる体制派が多いから。俗にいうリベラルというのは多数派ではないから。議会で多数を取るためにはライトを取り込まないといけない(CS放送朝日ニュースター番組、03年10月16日放映)
日本ではいまはまだ、理念と政策だけでは多数を取ることはできません。多数を取らなければ何も実現・実行できないわけですから、民主党との合併というのは自分たちの主張・理念を現実の政治に生かす近道になると認識しています(『BOSS』03年11月号)
憲法・安保問題
(憲法について)国民のためにならないなら議論して変えればいい。もっと自然体で不都合なことが起これば議論して結論を得るという態度でいい(4月5日の代表選出馬会見で)
私は現在の憲法でも、自衛隊を国連待機軍として国連に提供し、海外の現地で活動させることができると考えている。…国連待機軍を自衛隊とは別に組織する方が、当面の政策としては現実的であろう(『日本改造計画』)
民主党年表
1996年9月 民主党結成。鳩山由紀夫、菅直人両代表
98年4月 民主、民政、新党友愛、民主改革連合の4党が集まり新民主党を結成。代表に菅氏
99年1月 菅氏が代表選で松沢成文氏を破る
同年9月 鳩山氏が代表選決選投票で菅氏を破る
2002年9月 鳩山氏が代表選決選投票で菅氏を破り3選
同年12月 自由党との合併構想をめぐり鳩山代表が辞任。代表選で菅氏が岡田克也氏を破る
03年10月 民主・自由党合併
04年5月 年金未加入問題で菅代表が辞任。幹事長の岡田氏が無投票で代表に就任
05年9月 総選挙の敗北を受けて岡田氏が辞任。前原誠司氏が代表選で菅氏を破る
小沢一郎氏の略歴 一九六九年衆院議員に初当選。自治相、官房副長官を経て八九年に自民党幹事長に就任。九三年に自民党を離党し、新生党代表幹事として細川連立政権を樹立。九四年十二月に新進党を結党し幹事長、九五年十二月に党首に就任。九七年十二月に新進党解党後、九八年一月に自由党を結党し党首に就任。九九年一月、参院で過半数割れした自民党と連立政権を組むが、二〇〇〇年四月に連立を離脱。〇三年十月の民由合併後は代表代行、副代表。