2006年4月3日(月)「しんぶん赤旗」
列島だより
千人に1人が五輪選手
育成へ町民あげて
二月にイタリア・トリノで開かれた冬季五輪では、多くのドラマが生まれました。日本でも、四年に一回の壮大な「まつり」に参加した選手たちの活躍を見守り、各地で地域あげての応援が行われました。一方で選手の練習環境はどうだったかという現実も浮き彫りにしました。長野、北海道からの報告です。
北海道・下川町
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人口四千人の小さな町が、先のトリノ冬季五輪に四人のジャンプ選手を送りました。北海道道北に位置する下川(しもかわ)町です。「千人に一人の町民がオリンピックに参加した」計算です。過疎化が進むなか、町民から「高校生を含む選手たちは町民の誇り。元気づけられます」という声があがります。
合併せず自立
スキー・ジャンプの町は、面積の90パーセントが森林で占められます。銅鉱山が最盛期の一九六〇年代は人口約一万五千人を数えました。しかし銅貿易自由化で鉱山が閉鎖され、国鉄名寄本線の廃線の影響もあって、人口はピーク時の四分の一に減りました。市町村合併が進む中、町はアンケートで住民の意見を集約。その結果、一昨年、森林、農業を中心にした「下川町地域自律プラン」をつくり、自律の道を選びました。
下川町をふくむ道北地方は積雪寒冷地。日本でもっとも早くスキーができる自然条件に恵まれています。
町役場の職員はジャンプ台を指差しながら「役場から見える場所に町営スキー場があり、となりがジャンプ台です。もちろん無料です」と胸をはります。
小学生も中学生もスキーを担ぎ、十分ほど歩いて滑りにいきます。子どもの頃から雪とスキーに馴染んでいます。
ジャンプ台はK点が八メートルのミニヒルをはじめ二十六、四十、六十五メートルの四基あり、夜間照明もあります。整備にはジャンプ少年団の父母、町民ボランティアが協力し、コーチ役も町民、OBが買ってでます。
伊藤克彦さん(39)は、下川ジャンプ少年団のコーチで町の教育委員会職員です。下川町育ちで、実業団時代にはワールドカップ代表(ノルディック複合)として活躍しました。伊藤さんは小・中学生だけでなく下川商高のクラブも指導しています。「選手が大会で力を発揮できるように心がけています。もっとジャンプに関心をもつ少年がふえるといいですね」と笑顔で語ります。
高校一年(下川商高)で初めて五輪に出場した伊藤謙司郎選手の母親、真由美さん(45)はいいます。
「親たちは小樽、札幌での大会に子どもたちの応援によく出かけます。車での送り迎え、ジャンプ台の整備などに懸命です。息子はまだまだですが、目標を高くもって岡部選手のようになってほしい」
今春、下川商高に進学する藤本卓弥君(15)は「高校では先輩たちとの練習が楽しみです。将来はやはり五輪選手が目標」といいます。
ジャンプの町
下川商高は生徒数・約百人の小規模高校です。ジャンプができる町、学校として留学生の受け入れもおこなっています。
鈴木泉校長(57)は「ジャンプと地元産物の販売実習が学校の特色です。ジャンプ競技でも夢を大きく持って羽ばたいてほしい」と語ります。
同時に、町民の熱意や善意、町の限られた援助だけでは「ジャンプの町」の発展に限界があります。ジャンプ競技に期待を寄せる町民は「外国のように自治体やスポーツ団体に国、道の助成が必要だと思う。企業チームに頼るだけでは選手は育ちにくい」と話しています。
【トリノ五輪に出場した下川町出身の選手=岡部孝信(35)、葛西紀明(33)、伊東大貴(20)、伊藤謙司郎(16)】
(北海道総局 小高平男)
選手の練習条件
生かせたか 長野五輪の“財産”
自治体まかせでは限界
栗岩 恵一 元ワールドカップスキー選手イタリア・トリノで開催された冬季五輪では、一部マスコミの大々的なメダル獲得予想とは裏腹に日本選手は、フィギュアスケートの荒川静香選手の金メダル一個の獲得に終わりました。一体なぜこういうことになったのでしょうか。
維持費3億円
私はアルペンスキーの選手として、世界の選手と競ってきた立場からすると、選手の練習条件はどうだったかを考えざるをえませんでした。
私の住んでいる長野市で一九九八年にオリンピックが開催されました。このときにすばらしい諸施設がつくられましたが、これが今回の五輪のために十分に活用されてきたか。答えは否といわざるをえません。
長野五輪のスピードスケート会場として世界的にも優れたリンクと評判の高いエムウエーブは、十月から三月までしか使用できません。選手は夏場のトレーニングは海外に出て行かざるをえません。しかしその費用の工面がつかなかった選手もいると聞きました。
ソリ専用の練習場は国内にはほとんどないため、長野スパイラルは非常に貴重な施設ですが、これも年間通して使用することができません。
三月議会で日本共産党長野市議団が、管理運営している長野市にエムウエーブ、スパイラル二カ所の後利用についてただしました。
これにたいして、長野市長は、維持管理費が年間三億五千万円にも及ぶこと、これが市の財政上大きな負担になっていると述べ、「財政支援に向けて国はもとより、JOC、競技団体等に働きかけていきたい」と答えました。
予算は削減に
私が加盟する新日本スポーツ連盟長野県連盟は、長野五輪終了直後に「エムウエーブとスパイラルの二カ所の施設をナショナルトレーニングセンターとして位置づけるよう、国に要求してほしい」旨の請願をおこないました。しかしいまだに実現せず、一自治体の過大な負担になっています。
オリンピックを国家的行事としておこないながら、その後の財政的負担や後利用も自治体まかせというのでは、選手が育つわけがありません。文科省の体育・スポーツ予算で見ると、一九九九年の三百一億円が二〇〇五年度は二百十五億円と激減しています。
二〇〇一年に「サッカーくじ」を導入し、くじの売上金からスポーツ予算を捻出(ねんしゅつ)し、国の責任を免れようと姑息(こそく)な手段を講じてきました。しかしそのサッカーくじも売り上げが減少し、スポーツ競技団体への配分ももくろみがはずれて頭を抱えています。選手の育成・強化は企業、個人任せ、ほとんど手弁当でおこなう指導者の身分保障もなし。そうした現実がトリノ五輪の結果に端的に現れた、と私は見ています。
選手が安心してトレーニングに専念できるようなナショナルトレーニングセンターの充実をはじめ、国のスポーツ施策の転換を強く求めたい。でなければ四年後のカナダでの冬季五輪も見通しは見えてきません。