2006年4月1日(土)「しんぶん赤旗」
「構造改革」・改憲 自民と競い合う
「前原民主党」の196日
民主党の前原誠司代表の在任期間は百九十六日の短命に終わりました。
昨年夏の総選挙の大敗を受けて辞任した岡田克也前代表の後継選びで、前原氏は菅直人氏を二票差でおさえて代表に就任しました。
前原氏は秋の特別国会で「対案路線」を提唱しました。しかし、その中身は「小さな政府」のために公務員の総人件費削減を求めるなど、小泉「構造改革」と同じ路線に立ち、悪政の規模とスピードを競うものでした。
代表就任の記者会見では憲法九条「改正」が必要だと述べ、昨年十二月には訪米先で、集団的自衛権行使のための改憲を改めて説きました。
昨年末には自民・民主の大連立構想までもちあがり、小泉首相はことしの年頭会見(一月四日)で「憲法でも安全保障でもかなり自民党と似ている」とエールまで送りました。
「前原民主党」は不祥事続きでもありました。党代表として最初の国会質問は、同党の小林憲司前衆院議員の覚せい剤取締法違反事件のおわびでスタートしました。昨年十一月、弁護士法違反で西村真悟衆院議員が逮捕され、十二月、秘書の選挙違反で五島正規議員が辞職。今年二月、木俣佳丈参院議員が女性にけがを負わせたとして書類送検されました。度重なる事態は民主党の深刻な自浄能力のなさを示しています。
永田寿康議員が「メール」問題をとりあげた二月十六日、前原代表は「なかなか確度が高い情報だ」と発言。党首討論(二月二十二日)では「(送金は事実との)確証を得ている」とまでのべました。
前原代表の半年とメール問題をめぐる経緯
【05年】
9月11日 衆院選で民主党は六十四議席減で大敗。岡田克也代表が辞意表明。
9月17日 民主党新代表に前原誠司氏を選出。菅直人元代表を二票差で破る。前原代表は会見で「憲法改正は必要だ」とのべ、憲法九条二項の削除を言明。
9月28日 前原代表は衆院本会議で、小泉政権との「改革競争」を宣言し、重要課題では「対案」を出すと主張。
10月11日 前原代表は記者会見で、衆院比例定数の八十削減法案の作成に着手すると発言。
10月17日 前原代表は日本記者クラブで憲法改定を主張。
10月31日 「自衛権」を明記し、「武力の行使」も可能とするなど九条改憲を明確にした「憲法提言」をまとめる。
11月10日 前原代表は日米安保戦略会議で、与野党の対抗軸を「日米安保体制に賛成か、反対か」に求めるのは「無意味」と発言。
12月8日 前原代表は訪米先で、集団的自衛権の行使のために、憲法改正をと主張。中国を「現実的脅威」と発言。
12月17日 民主党は党大会で、「自公政権と改革の中身を競う」とした活動方針を採択。
【06年】
1月5日 前原代表は党本部の仕事始めで、改憲や外交安全保障など党の基本政策について、「上半期でまとめあげる」と発言。
2月16日 衆院予算委員会で、ライブドア前社長の堀江貴文被告が自民・武部勤幹事長の二男あてに三千万円を振り込むように指示したとされる「メール」を永田寿康議員が指摘。
武部幹事長が「そういう事実はまったくない」と発言。
前原代表が「なかなか確度の高い情報だ」と発言。
小泉純一郎首相が「ガセネタ」と指摘。
2月17日 民主・野田佳彦国対委員長(当時)が、黒塗りした「メール」の写しを公表。
2月22日 党首討論で、前原代表は「(送金は事実との)確証を得ている」と発言。
2月28日 永田議員が記者会見し、陳謝。議員辞職は否定。野田国対委員長が辞任し、永田議員は半年間の党員資格停止処分を受ける。
3月2日 衆院本会議で永田議員を懲罰委員会に付する動議を可決。
3月14日 前原代表が講演で、教育基本法に「『愛国心』を書くことに違和感はない」と発言。
3月22日 衆院懲罰委員会で永田議員が弁明。
3月24日 衆院懲罰委員会で質疑。永田議員は、「メール」提供者が西澤孝氏だと明かす。メール作成者、作成意図は明らかにならず。
3月29日 衆院懲罰委員会で西澤氏への証人喚問を議決。
3月31日 前原代表が辞意を表明し、執行部が総退陣。永田議員も議員辞職表明。