2006年2月17日(金)「しんぶん赤旗」
torino 2006
もがいて光見えた
スケルトン 41歳の越選手
「いかに速く、いかに向上できるか」
四十一歳で日本選手団最年長、スケルトンの越和宏選手は、コツコツと積み上げてきた集大成を二度目の五輪となる、トリノの地でぶつけます。
十四年前、日本で最も早くスケルトンに取り組んできたパイオニア。マイナー競技ゆえの悲哀を味わってきました。
ボブスレーからこの競技に転向した九二年、会社から「聞いたこともない競技にお金を払うわけにはいかない」と支援を打ち切られました。その後、アルバイトで食いつないだり、職を転々としたり。九八年には二度目の解雇を経験し、失業保険と貯金で妻子を養った時期もありました。「当時は、人を信じられなくなってしまった」と漏らします。
五輪の正式種目となったのも四年前でした。ずっと待ち続け、期待していた九八年の長野五輪は見送りとなり、大きな失望感に襲われました。
「でも、いま思うとそれをあまり苦労とは思ってないんです。それよりも……」と語り出したのは、やはり自身の競技力のことです。
「いま自分がやっているトレーニングはこれまでにない最高のもの。それははっきりしている。でも、くせが残っていて、身につけられない。そんな自分がもどかしい」
体力は年々落ちています。しかし、それを「技術でカバーできる」と断言します。
今季は、スタートの助走の改善に着手しました。そりを両手で押すやり方から、世界主流の「片手押し」にトライ。身につけられるかどうかリスクはあっても「これをやらないと世界の高い位置にはいけない」。挑戦する気持ちに衰えはありません。一月のW杯では、その成果もあって、六位に食い込みました。
ソルトレーク五輪以降は、スポンサーを募り、支援企業も現れました。競技力も環境もみずから切り開いているのです。
「僕はもがいて、もがいてやっと光が見えた。それがあったから、いまの自分がある」
そして人々に、こう言いたいといいます。
「もがくことから逃げないでほしい。正面からぶつかって、やり続けてこそ何かが見えるはずですから」
トリノでは、表彰台を目指します。
「五輪では何が起こるかわからない。だから僕にもチャンスはある。日本の人々には、『前に進む勇気』を感じてもらえたら」
越選手の出場するスケルトンは十八日未明スタートです。
(和泉民郎)
▼スケルトン 1メートルほどの鋼鉄製のそりに腹ばいになり、頭を前方に氷上すれすれに滑走。時速は130キロに達します。