2006年2月12日(日)「しんぶん赤旗」
排ガス公害責任とれ
トヨタ総行動
ぜんそく抱えデモ
愛知県豊田市で十一日くりひろげられたトヨタ総行動。自動車の排ガスによる大気汚染公害裁判をたたかう原告が、不治の病とされるぜんそくを抱え、東京から駆けつけました。「トヨタは社会的責任を果たせ」「大気汚染の責任をとれ、青空を返せ」。大もうけをあげる一方、健康被害者の救済を放置し新たな被害者を生み続けるトヨタ本社に向かって声をぶつけました。
■つえつき東京の患者
トヨタは、公害裁判の被告企業。高速道路建設の旗振りもつとめています。決起集会の会場からトヨタ本社に向かうデモ行進の隊列。出発して数分でした。「まだ大丈夫ですから…」。未認定のぜんそく患者で東京・北区の小柳晴子さん(63)は、体を気遣う周囲の声に気丈に答えました。
三年前、つえなしでは歩けなくなりました。
ぜんそくをおさえる薬の強い副作用でむくんだ顔に、噴き出てくる汗をタオルでぬぐいました。デモの隊列から遅れはじめ、険しさを増す表情。歩きだして二十分、見かねた仲間から促され、宣伝カーに救護されました。
「トヨタに社会的責任をとらせたい。何が何でもいこう」。症状から参加を止める主治医には秘密にした行動でした。十一日未明、二時すぎに発作に襲われ、症状がようやく落ち着いたころには明け方になっていました。
小柳さんが初めて、ぜんそくの発作に見舞われたのは四十三歳のときでした。半年前には、一人娘で当時、五歳だった聡美さん(26)が、ぜんそくを発症していました。さらに、数年後には、近所に住んでいた小柳さんの母・きんさん=当時六十九歳=も重いぜんそくを発症。六年前、突然の発作による窒息で七十九歳の死に目にあえませんでした。
小柳さんは三次の原告で、「これは公害だね」と言って四次原告になった亡き母の遺族原告も兼ねます。娘の聡美さんは一次原告。健康被害とたたかいは三代にわたります。
「治らず、死ぬまで不安がつきまとう、むごい病気です」と小柳さん。トヨタの工場前でこう話しました。
「トヨタは日本の経済も政治も握っている。親子三代に及ぶ健康被害を与えた加害責任を認めさせ、二度と同じ苦しみにあう人がでないようにしたい」