2006年1月27日(金)「しんぶん赤旗」
国保証あれば
胃がん・肝硬変… 医者にかかれず
国保証を持たない人たちが、医者にかかれずに死に至る――。一面所報のように二〇〇〇年以降の資格証義務化後、受診が遅れての死亡が相次いでいます。平等であるはずの命の重さ。しかし、国民皆保険制度は名ばかり。亡くなった人たちには命を守るための「医療」が手の届かないものになっており、深刻な「社会的格差」の進行を浮き彫りにしています。(藤川良太)
二〇〇三年十月、五十代の男性が静岡県内の病院を訪れました。「おなかが張っていて、食事が食べられない」。検査の結果は胃がん。抗がん剤を使った治療を希望しましたが、肝臓にも転移しており手遅れ。「痛みを減らす治療」しかできませんでした。
■所持金1800円
男性の生活保護申請などを行ったソーシャルワーカーの女性(27)によると、男性の入院時、手元にあった所持金は千八百円。十二歳と二十四歳のときに結核を患うなど、元々からだが弱く、仕事が長く続けられていませんでした。
勤めていた産業廃棄物処理業の会社は、同年五月で辞めさせられ、入院前の食事は、ご飯に、みそか卵をのせるだけ。水道、ガスは止められ、家賃も四カ月分滞納していました。男性はソーシャルワーカーとの面接で、「体がむくんでいるのは分かっていた。お金がなかったから来れなかった」と漏らしていました。
一カ月後に亡くなった男性が持っていたのは、すでに期限の切れた短期保険証でした。
■病院を転々
岐阜県の肝硬変で亡くなった五十代男性は、受診の一年前から、吐血や下血を繰り返していました。
男性は〇一年四月、「一カ月前から食欲がなく、一週間前から腹が張りつらかったが我慢していた。我慢ができなくなった」と県内の病院を受診しました。入院を勧められましたが、全額自己負担で支払いを行い帰宅。
六日後、歩けなくなり友人を呼んで別の病院に運ばれました。病院を転々とした理由は「保険証がないから、医療費が心配」。男性は、二十五年前に起こした人身事故の慰謝料の支払いのため多額の借金を抱えていました。
入院五十日目、男性は食道静脈瘤(りゅう)破裂で亡くなりました。入院中、ソーシャルワーカーに残したのは「保険証があればもう少し早く病院に行けた」という言葉でした。
■「無保険」も
保険証も資格証も持っていない、「無保険」状態にある人たちもいました。神奈川県では、亡くなった四人のうち三人が「無保険」でした。
神奈川県内の病院に〇三年六月、住所不定の六十代男性が救急車で運ばれてきました。精密検査を目的として即日入院。胃がんで転移もみられ、余命がほとんどない「ターミナル期」と診断されました。抗がん剤を使った積極的治療もできず、約一カ月半後、亡くなりました。
男性の仕事は日雇いの解体業。病院では、生活保護を申請していました。
他の二人も、同じように入院時、生活保護を申請。十二指腸がんだった男性はいったん、介護保険のサービスを利用し在宅で生活できるまで回復しましたが、約六カ月後に死亡。肝硬変だった男性は、すでに末期状態で約三カ月後に亡くなりました。
■“迷惑かけっぱなしで ごめんなさい”
■家計簿に挟まれた遺書――
福岡県内の事例では、家計簿に挟まれた遺書が残されていました(写真、名前は消してあります)。必死に書いたと思われる、小さく震えるような字。「迷惑かけっぱなしでごめんなさい」
三十代の女性にここまで書かせたのは「資格証」でした。
〇一年三月、女性は糖尿病、バセドー病(甲状腺)、胃かいよう、肺炎全身出血を併発した状態で、県内の病院に救急車で搬送されました。二日後、衰弱で亡くなりました。何度か自治体の窓口に相談に訪れていますが、納付のことを言われ、国保証はもらえなかったといいます。
遺書には「いつまでたっても元気になれないし●●ちゃんにはもうこれ以上めいわくかけたくないの。何もしてやれん。病院にも行けない。手術もできない」。(●●は夫の名前)