2006年1月14日(土)「しんぶん赤旗」
第24回党大会の討論(4)
■燃えに燃えた青年の力25歳の私が市議初当選
■島根 大国 陽介代議員
島根県の出雲市で市議会議員をしています。二十五歳です。昨年四月の合併選挙で初当選しました。(どよめき、拍手)
中央委員会報告の「日本共産党こそ、日本の未来を開くもっともたしかな進路をしめしている」との熱いよびかけに、強い感動を覚えるとともに、「やるぞ!」という心の震えを感じました。(拍手)
昨年の選挙は、青年支部が燃えに燃えました。支部がそれぞれの得意分野を生かして作った若者向けのビラはユニークなもので、「誰こいつビラ」と呼ばれています(笑い)。このビラは青年のみならず、その家族からも大きな反響を呼びました。
選挙中、事務所はつねに若者であふれ、ビラ配布からアナウンサー、運転手などで大いに盛り上がり、若者の勢いがまちの雰囲気を変え選挙に勝利することができました。
これは何よりも青年がもっているエネルギーが大きいものであると同時に、青年問題の解決の確かな道をさし示す日本共産党の政策が、このエネルギーを引き出したのだと思います。
当選後は、議会でも青年の雇用問題を繰り返し取り上げてきました。青年支部や民青同盟と結んだ運動で、職業紹介などを行う「若年者就業支援センター」の市独自の設置が予算案に盛り込まれることになりました。(拍手)
労働者の無権利状態に対して立ち上がることは勇気もいるが、立ち上がれば勝利できるとの中央委員会報告を聞いて、思い出したことがあります。大学生時代に党が発行していた「働くもののサポートマニュアル」という冊子に基づいて、当時勤めていた職場で会社に申請し、休日出勤の残業代が支払われたことです。(拍手)
労働者の権利を知らせることが重要だと改めて痛感しました。
私はこの間、二十三人を党に迎えています。生活相談に来た人、同級生などさまざまな人たちですが、入党を勧める際には、社会のおかしな様子を、紙に図を描いて説明しています。
小泉「構造改革」のせいで大変になっている青年の雇用問題を打開するには日本共産党が大きくなるしかない―。地方選挙はじめ選挙の勝利のため全力で頑張ります。(拍手)
■支部で綱領「出前講座」講師が自由かっ達に
■青森 釜萢 勉代議員
地区委員会は、綱領の学習を総選挙直前までの半年間に集中してとりくみ、総選挙後も継続しておこなっています。
この間、支部の学習会は支部数の一・七倍、のべ百六十一回行われ、学習会への参加者はのべ七百八十二人にのぼります。綱領を学ぶようになってから党員が元気になり活気が生まれています。
綱領学習は、地区委員会から講師が支部に出向いて講義する出前学習にとりくんできたことが特徴です。支部まかせではなかなか綱領学習はすすまないとわかったからです。
多くの支部は「どうやって勉強するか」「文献はどうするか」などで悩んでいました。綱領学習も双方向、循環型でいっしょに勉強することが大切だと思いあらためました。
支部には地区委員会から講師を派遣するので、日程を決めてくれればいいと提案しました。支部から日程がだんだんと入り始めました。
学習と講師の養成をかねて、地区委員会総会、青森市議団、常任委員会で集団学習にとりくみました。私も二十三回の講義をしました。
私の経験では、学習会の講義は、自分の言葉、学んだ確信を語ることが大切だと思います。最初に講義をしたころは、不破議長の『新・日本共産党綱領を読む』で講義レジュメをつくり、本文そのものを解説していました。どうも不破さんの講義を薄めているような罪悪感がありました。(笑い)
レジュメやマニュアルは地区委員会で統一したものはつくっていません。それぞれの講師が持ち味をいかして、自由に講義すればいいと考えています。
石江支部は「政策と計画」にもとづき、大雪、雨の日も一年にわたって署名や対話にとりくみました。支部長は、外にむけての活動の支えになったのは三カ月かけて取り組んだ綱領学習だと話しています。
地区委員会は高橋ちづ子衆院議員の出身、居住地区として高橋再選に特別の役割をもっています。総選挙前に集中してとりくんだ綱領学習が選挙戦に党員が立ち上がり、党を語るうえで少なからず力になったと思います。綱領を全党員のものにするために、引き続き学習に頑張ります。(拍手)
■日常活動通じ党に信頼22大会から党員3倍に
■群馬 鏑木 里子代議員
北一支部が活動する桐生市は昨年、周辺二村と合併し、三月にはゴミ袋を一枚八十円にする(驚き)家庭ゴミの有料化など、市民生活を圧迫する行財政改革方針を出しました。
これにたいし、市全体で住民運動が始まりました。支部も、ゴミ有料化やバス無料パス廃止に反対する署名などをもって地域を訪問し、千人を超える署名を集めました。中学校の統合計画には住民と一緒に反対し、〇六年度の実施を断念させました。(拍手)
しかし、何といっても選挙を勝ちぬくために党を大きくしなければというのが、支部の思いです。〇三年には、総選挙の悔しさをバネに百二十人の支部になること、毎月十人の読者を増やすことを「政策と計画」に掲げました。現在、党員は百二十七人で、二十二回大会比三倍をやりあげ、目標を達成しました。(驚き、拍手)
八人の支部委員が中心になっています。入院中の人などを除き、すべての支部員に第二十四回大会決議案を届けるなかで、会議になかなか参加できない高齢の支部員と話すことができ、要望や期待を聞くことができ、健康状態も分かりました。選挙のときに茶飲み友達に支持を広げ、病気にもかかわらず電話で親類に「赤旗」購読を呼びかけて「私にはこんなことしかできなくて」とうれしそうに報告してくれる人たちです。昨年の総選挙のときに入党した人も、大きな力を発揮してくれています。
〇三年総選挙時比三割増の目標も、日刊紙、日曜版とも達成しています(拍手)。お盆と正月を除き、毎週土日に行動を続けてきたことが力になっています。今月も、胸を張って大会に参加できるようにと読者を増やし、送り出してくれました。行動の推進力になっているのが、支部委員会の体制を強め、知は力と不破議長の『新・日本共産党綱領を読む』などを学習してきたことです。
痛みばかりを押しつける政治の流れを変えるため、多くの人に綱領が示す日本改革の方針を語り強く大きな党をつくること、そして、この異常な情勢を切り開くための宣伝を強め、要求や要望にもとづく活動を地域のなかですすめ、二百人の支部へ執念もって頑張ります。(驚き、拍手)
■市民と対話、 要求くみ合併選挙1人区で勝利
■長崎 堀江ひとみ代議員
長崎県議会ただ一つの日本共産党の議席、中田晋介県議の議席を引き継ぐために、来年のいっせい地方選挙で県議選に挑戦します。堀江ひとみです(拍手)。現在長崎市議四期目です。
私は長崎県五島列島でイカつり漁師の娘として育ちました。十五歳の春、集団就職列車で愛知の紡績工場に。昼間働いて夜学ぶ生活を高校、大学の八年間続けました。長崎に帰って民医連の病院に働き、ケースワーカーとして弱い者いじめの政治を見てきました。党の議員にという要請に立候補しました。そのときから続けている定時定点の早朝宣伝は十六年目です。
私の後継者に、二十五歳の中西あつのぶさんが立候補を決意しました。中野太陽諫早市議に続き(笑い)、二十代の市議会議員をつくりたいと思っています。(笑い、拍手)
長崎市は昨年一月、周辺六町と合併し、市議増員選挙がおこなわれました。定数一の増員選挙で、香焼町、伊王島町の二つの議席をかちとることができました。
三つのことを感じました。一つは、論戦です。合併賛成、反対を問わず、住民の願いをまっすぐに届けられる党の議席の値打ちを最後まで訴えました。
二つ目は、党づくりと「しんぶん赤旗」読者や党員を増やす問題です。香焼と、伊王島は、党員の人口比がともに3%を超えています。
三つ目は全有権者に働きかけること。伊王島ではカトリック信者が60%以上です。「町を良くするために力を合わせたい」。この立場にたつと、党と信者の対話が大いに弾みました。
長崎市議会の日本共産党議席は三から五へ、議席占有率は10%。議案提出権も獲得しました。
最後に、若い世代を党に迎えることについて発言します。私は未来社会の展望とかたく結びついたこの党が青年に受け継がれることを切に願います。わが家では、昨年十九歳の息子の入党に続き二十一歳の娘も入党(拍手)。今年の正月は家族四人が共産党員として迎えたことになります。(拍手)
決議案では、党建設が決定的な意義を持つ特別な時期があり、いまがその時期だと指摘しています。「いまが人生の頑張りどき」。その決意を表明して発言とします。(拍手)
■国民が党を求めている苦しむ人に手さしのべ
■徳島 上村 秀明代議員
徳島地区は昨年十一月一日に党員の「大運動」目標を突破して党大会を迎えました。
この間のとりくみで私が確信にしているのは、党綱領と大会決議案の日本改革の方針が共感をもって受けとめられ、党員をふやす条件が満ちている、国民が日本共産党を求めているということです。
最近入党した女性は、悪徳商法にお金をつぎ込んで家を出ていかざるを得なくなった方でした。ホテル住まいですぐお金が底をつき「死のう」と考えていたとき、家に配られていた「民報」に「なんでも相談を」と書かれていたのを思い出して電話をかけてきたのです。すぐに町議が相談にのり、住むところを見つけ、生活用品もみんなが持ちより生きていくことができるようになりました。入党歓迎会のとき、彼女は「私は死ぬつもりでした。共産党は命の恩人です。今は明るくなりました」と言いました。今では日刊紙を読み、元気に支部会議に参加し、選挙でも頑張っています。
「新自由主義」の経済路線が生み出した弱肉強食の寒々とした社会の中で、「自己責任」で自ら命を絶つ人をふくめ、苦しむ国民に手を差し伸べてあたたかい人間的連帯で反撃する党を国民は切実に求めています。まさに綱領と決議案の中身が待たれていることを党員をふやす運動を通じて実感しています。
こうした経験を交流した「党員拡大とあたたかい支部づくりの経験交流会」は成功をおさめ、広く働きかける努力が広がりました。
私は、この間の実践を通じて、五十万の党に見合う目標をやりとげる客観的条件はあると確信しています。主体的な条件は何か。それは、報告で提起された、綱領学習を第一義的課題として全党員が学習すること。「政策と計画」をもち、自覚的に活動する支部をつくる努力。この徳島の党の歴史的弱点を打開することに大胆に挑戦することが必要です。
五十万の党に見合う目標、二〇〇三年総選挙時比三割増の目標をやりぬき、二〇〇七年のいっせい地方選挙、参院選挙で前進をかちとる決意です。(拍手)
■国民に依拠した財政を議論すれば胸熱くなる
■滋賀 石黒 良治代議員
湖南地区は二〇〇〇年十二月の地区党会議で「財政活動の四原則」にもとづく活動を「地区総合計画」に位置付け、本格的な努力を開始しました。その結果、九九年末に千五百万円あった借入金と未払い金が〇二年末にはすべて解決し、健全財政を確立しました。党費の100%納入、未集金・滞納問題の解決に手立てを尽くすことと合わせて募金と支出の節約、すべてに力を入れた結果でした。
今では業者への支払いも常に“いつもニコニコ現金払い”(笑い)。業者に喜ばれ、値引きもしてくれるので大きな節約になっています。昨年は総選挙と三つの合併市議選に十人の候補でたたかいました。供託金三百万円と一千万円をはるかに超える選挙経費も支部と党員、読者に依拠して集めきりました。
供託金支援基金の討論のなかで、「政党助成金を供託金分受け取ればいいではないか」との意見が出されました。そこで国民に依拠した財政活動をすすめる党の値打ちについて議論しました。民主党本部が集めた個人献金が年間三十六万八千円。湖南地区で民主党本部以上に募金を集めている支部がいくつもあります。(笑い)
「総選挙で高齢の女性が百円をカンパし、おがむように『がんばってください』といわれた。どんな思いで出してくれたか考えたら胸が熱くなった」などと議論すれば、募金の意欲もわきます。
日本共産党がいかに草の根で国民と結びつき、支えられているか。逆に政党助成金や企業献金に依存しきっている自民党や民主党がいかに政党として堕落しているかがみんなの認識になります。世界に例がない高額な供託金制度をやめさせ、何よりも党の実力をつけて10%をはるかに超える得票をめざそう、支援基金は全国連帯の財政活動であることなど、理解が広がりました。
私は二十年前、製薬会社を辞め、常任活動家になりました。妻は無職。当時三人だった子どもは五人になり、教育費の負担に苦しんでいます。一刻も早く国民が主人公の政治をと切実に願っています(笑い)。財政活動の前進のためには「政策と計画」を持った「支部が主役」の党づくりを本格的に推進しなければなりません。地区委員長として全力を尽くします。(拍手)
■市議選勝利へ党を強く今月50人の読者増やす
■大阪 国定 敦子代議員
きたる四月二十三日投票の河内長野市議選では、定数二十に対し六人の党議員当選を勝ち取るたたかいに挑戦します。
私を大会に送り出すために、支部はこの一月、五十人の読者拡大目標をやりきってきました。
三割の議席占有率に挑戦するならもっと党の実力をつける以外に道は開けないと昨年十一月に読者、毎月五十人増の提起があったとき、市議選に勝ちぬくためには絶対必要だと分かっていても途方もない人数に思えて、支部の指導部会議でも重苦しい雰囲気になりました。
そのなかで議員から「一カ月十人の目標でもしんどかったやろ」といわれ、我に返りました。「しんどさは十人でも五十人でも一緒やないか」(笑い)「四年前の選挙でも五十人増やした。七十人やった月もあった」「いままでやったことのない数ではないで」と次々に意見が出ました。
とにかく月初めから平日も含めいっせい行動を組もうということになり、支部会議に提起しました。一瞬その場はシーンと静まり返りましたが(笑い)、行動日を提起すると「この日なら出られる」「一時間ぐらいなら参加します」と次々と名乗りをあげてくれました。
十一月は五十人を達成、十二月は五十四人と超過達成し、スポット宣伝も百回以上できました。十二月には四人の入党者を迎え、前党大会から十三人を迎えました。
支部の元気の源は支部会議です。会議ではどんな意見も言え、また耳を傾ける。参加できない人には担当者を通じて連絡をとり、近況を会議で報告してもらう。お互いに元気をもらって帰る。そんな会議に少しは近づいているかなと思います。
日ごろの対話で寄せられた「交通の便のない地域に福祉バスを運行してほしい」との住民要望を支部として取り上げ、地域の方と一緒に署名に取り組みました。市議会でも二度取り上げられ、昨年四月から試行的ですが福祉バスが運行され、利用者からは「五十二年ぶりにバスが通ってうれしい」という声が寄せられています。
平和を守りたい、くらしをよくしたいという思いはみんな持っています。会議に参加できなくてもPTA役員や老人会活動をしている人、読者ニュースに投稿する人、闘病中の人などの思いをくみ上げられるような支部にしていけたらと思っています。(拍手)
■「三位一体改革」を批判正論が地方政治動かす
■高知 江口 善子代議員
高知県では一昨年の知事選挙で、自民・公明などが推した候補者を、日本共産党と草の根の市民運動が推す橋本大二郎知事が破りました。県政における日本共産党県議団は四十一議席のうち六人。与党ではありませんが、県政を県民の立場に立たせるため、提案型で頑張っています。
これまで知事は、地方分権を進めるとの立場から「三位一体改革」を全体として評価していましたが、わが党が「三位一体改革」を批判するなか、昨年の十二月県議会では「改革とは呼べない」と批判し、「改革の第二段階」という知事会と一線を画すると、すっきりした態度へと変わりました。正論の力とともに、聞く耳を持つ知事ということを改めて示しています。
さらに十二月県議会では、自民党議員が代表質問で「どう、三位一体改革と体をはってたたかうのか」と、自らの党の政策に知事のたたかう決意を聞くという(笑い)質問をせざるを得ませんでした。日本共産党が提案し可決された、「自民党の医療制度改革の撤回を求める」という厳しい内容の意見書にも、自民党県議団が反対できませんでした。
ここには、自民党政治のゆきづまりが深刻で、支持基盤が大きく崩れている高知県の情勢の特徴があらわれています。
昨日の報告にもありましたが、県政が変化すれば、その影響は市町村に及びます。高知市政でも私たちは野党ですが、市職員による補助金の横領事件や公共工事の不適正な発注問題で、市議会の中に二つの特別委員会を設置させ、問題解決にとりくんできました。暮らしの問題でも、生活保護費の国庫負担率引き下げは「国の責任の後退だ」との市長の答弁をえて、就学援助も「一般財源化されても制度存続に務める」と教育長の答弁を引き出し、制度の案内チラシを家庭に配布させることができました。
県議選で勝利するために、定数十五の高知選挙区で四人の当選をかちとること、市議選で八人の当選をかちとることが私たちの至上命題です。党勢拡大と、県政市政を日常的に広く県民市民に語っていくことを、市議団長として先頭にたってやりぬく決意を表明して、発言を終わります。(拍手)
■「この町に党の町議を」移住3年、心も通じた
■福島 畑中 大子代議員
広野町は人口五千七百弱で地縁・血縁の強い地域です。来年の地方選挙で議席を取り戻すため隣のいわき市から移住しました。(拍手)
私が入党したのは約四年半前です。「赤旗」を故郷・愛知にいた二十代のころから読み、共産党は社会をより優しく人間的に変革する信頼できる党だと感じていました。
入党したのはリストラにあい、家にいた時期でした。そのころ共産党は「大運動」の真っ最中(笑い)。志位さんの話を「赤旗」で読んだその日に働きかけがあり(笑い)、ついに共産党員になりました。ずいぶん長くかかりました。(笑い)
その後、仕事も見つかったころ、広野町議が病で倒れ、入党をすすめた議員が地区委員長とともにやってきた(笑い)。選挙に出てほしい、生きがいが持てるよ(笑い)といわれて立候補することになりました。(拍手)
移住して約四カ月後の選挙では九十六票で見事に落選しました(笑い)。このいきさつは「赤旗」の別刷り記事にのり、「私はくじけません。次も挑戦します」と言ったと書いてあります(笑い)。そういうわけで、移住して三年たちました。(拍手)
「赤旗」日曜版の配達・集金、週一回の十カ所程度の街頭宣伝、年四回の議会傍聴、それを「民主広野」を発行し町民に知らせる、今はその合間に「広野通信」という新聞も発行しています。
町の様子もわかってきました。町民の親せき関係から、予算の使い方もおかしいことまでです。
相談事もされ、町に共産党の議員が必要だと言われるようになりました。「お茶飲んでいきな」「野菜もらっていくけ?」という言葉を、おろそかにしてはいけません(笑い、拍手)。「忙しくて」とか言えば、厚意を無にしたことになります(笑い)。対話で大切なのは話をよく聞き意見をうけとめることだとわかってきました。
広野支部は、日曜版で三割増を達成、一時六割まで落ち込んだ読者を、三年で一・四倍にしています。二人に入党してもらいました。決議案は「どんな難しい条件のもとでも党の前進を勝ち取るためには、自らの力で『風』を起こすことが必要」と言っています。まさに私のことを言われているようで(爆笑・拍手)。選挙に勝利し、弱肉強食の日本を変えていくためにも頑張ります。大会に来ることができて本当によかった。(拍手)