2006年1月14日(土)「しんぶん赤旗」
第24回党大会
大会議案、中央委員会報告の討論(1)
第二十四回党大会での大会議案、中央委員会報告にもとづく討論の発言要旨を順次紹介します。
■前大会から全地区前進大きな党待たれている
■香川 田村 守男代議員
新しい綱領が日々生命力を発揮していることを感動的に受け止めました。
香川県は「大運動」ですべての地区が日刊紙・日曜版とも前進し、いずれも前党大会現勢を超え、党員では二つの地区が「大運動」の目標を達成して党大会を迎えました(拍手)。いま本当に大きな党が求められています。
昨年十一月に定数一で勝利した旧塩江町の高松市議増員選挙では、住民の暮らし切り捨ての事態に、誰が自分たちを守ってくれるのか、全町民規模で真剣な模索が広がりました。
温泉の前の野菜販売が禁止されるなどの町内の問題も次々と解決し、選挙後、二十九人の新しい党員を迎え、人口比で2%になりました。
この二年間で党員を一・五倍にした東かがわ市では、高校の統廃合、大型スーパー撤退問題、産廃処分場の建設などで住民運動が起こりましたが、「もう共産党でもいいや」(笑い)と、次々相談がわが党に寄せられました。一緒に運動した人が相次ぎ入党しました。
どんな問題でも現状の打開策、展望を示す綱領と日本改革の方針がどこでも待たれているし、強く大きな党が、切実に待たれていることを日々実感しています。
とりわけ「政策と計画」を持った「支部が主役」の党づくりにこそ、要があるとの思いを強くしています。
高松地区は、前大会時を読者数で日刊紙七人、日曜版百五十四人上回り、九十人を超える新しい党員を迎えています。六割を超える支部で「政策と計画」を持って「支部が主役」の活動が前進し始めています。これらの支部では共通して政治目標を明確にし、「九条の会」の一翼を担ったり、生活相談、アンケート活動、定期的な街頭宣伝など地域で党の存在意義を発揮しながら多彩な活動に取り組んでいます。
党員が不屈性と先見性を発揮して自覚的に活動する最大の土台である綱領学習を第一義的優先課題として取り組み、弱点にもしっかり目を向け、五十万の党、三割増の読者という党建設に挑んでいきます。相次ぐ中間選挙を確実に勝ち抜き、いっせい地方選挙、参院選で今度こそ本格的な前進の道を切り開くために、香川の党は全力を尽くす決意です。(拍手)
■軍事同盟はいらないアジアの流れを実感
■中央 笠井 亮代議員
私は、中央委員会報告が世界の大きな流れからみた自民党政治の異常さをダイナミックに浮き彫りにし、新しい綱領をふまえて日本と世界の進歩的打開の道を提起したことを正面から受け止めて、野党外交と国会活動にいっそう力を尽くす決意です。(拍手)
戦後六十年の昨年、各国政府・政権党や在日大使館との交流を通じて、もっとも感じたことは、日本、ドイツ、イタリアが行った戦争が犯罪的な侵略戦争だったというのは、国際社会全体が共有する常識だということです。
昨年末に懇談した在日米大使館の高官も、小泉首相の靖国参拝は「非常に微妙な問題だ。解決されることを望む」といいました。昨年のアジア・太平洋円卓会議では、アジア共通の声として、「侵略戦争が正しかったという政府や首相がいて関係がよくなるわけがない」といわれたのが印象的でした。
アジアでは戦争のない世界、非核・平和と繁栄に向かって進歩の流れが力づよく広がっていることを体験しました。昨年のマレーシアや韓国での国際会議で語られた「アジアに軍事同盟はいらない」「米国との付き合いは大事にするが、アジアのことはアジアでやる」という意気込みは、党綱領と相通じあうものでした。
それだけに「日本政府はアジアではなく米国にばかり顔を向けている」という強烈な批判の声をいつも聞きます。米兵によるひき逃げ、殺人事件で外務省は事実関係の照会すらまともにしていませんでした。小泉首相は屈辱的な日米地位協定の改定は「考えていない」と一言ですまし、ひたすら米軍再編・自衛隊との一体化で、日本を「戦争する国」につくりかえる九条改憲をたくらんでいます。決議案が提起した外交的転換の四つの提言を高く掲げて奮闘したい。
人間を粗末に扱い、大企業や富めるものには至れり尽くせりの亡国政治の転換は急務です。いま世界は、「勝ち組・負け組」社会を乗り越えようと模索しています。「人間らしく働けるルールづくり」をめざす社会的反撃がどうしても必要です。国会論戦とともに、草の根で党綱領と「日本改革」を語る先頭に立ちたいと思います。(拍手)
■侵略正当化からの脱却党と県民の思い重なる
■長野 今井 誠代議員
侵略戦争を正当化する世界に例をみない、孤立している異常な政治から脱却し、大本から転換することを決議案は位置付けています。
戦前、長野県では中国への全面的侵略戦争へむけて一九三三年二月、教職員を「教員赤化事件」と称して百三十人を逮捕、七十七人を検挙、投獄しました。県政は国策に従い、中国東北部へ「満蒙開拓移民」を送り出し、教育の場では小学生らを「満蒙開拓青少年義勇軍」と称して六千人を送り出しました。その数は三万人を超え、全国一位でした。うち半数以上は再び祖国の土を踏むことはできませんでした。
戦前、私たちの先輩は、反戦・平和を命がけで貫きました。党綱領は明確にこのたたかいを規定しています。綱領の思いと県民の平和への思いは重なっています。
憲法九条を守るたたかいは全県の人口の90%を占める地域に「九条の会」が結成・準備され二百二になり、一九六〇年の安保共闘の百九十一を超え、日々広がっています。よびかけ人の総数は六千人になり首長を含め保守、宗教人、若者まで、安保や経済問題、政策的立場を超えています。
十二月には四つの町村議会が、政府に九条を守り、生かすことを求める意見書を全会一致、あるいは圧倒的多数であげています。戦争礼賛論を許さない国民的合意を長野県からつくりだす決意で、県民過半数署名を二〇〇六年中の突破のために長野県党組織は、その一翼を担い、先頭に立つことを決意するものです。
長野県では前二十三回党大会から地方議会での議席占有率を1・13%のばし9・8%から10・93%になりました。
これは現実政治を動かす力になっています。12%の占有率がある県議会では、党の積極的提起もあり、三十人学級が今年、県と市町村が力を合わせ全小学校規模で実現できる見とおしです。
苦難から住民を守るために、党議員や党支部が献身的に活動していることは党派を越えた信頼を広げています。
二〇〇七年の正念場の政治戦で勝ち抜くために、県党組織の弱点を正して、強大な党をつくるためにたたかいぬきます。(拍手)
■閉塞感に包まれたいま綱領と党活動に希望
■東京 田村 智子代議員
初めて決議案を目にしたとき、「自民党政治の危機とゆきづまり」がすぐには実感できませんでした。衆院候補者として、総選挙で自民党政治を厳しく追及したにもかかわらず、自民党が大きく票を上積みしたことを目の当たりにして、たじろいでいたのです。
決議案の討議を重ね、大会に参加し、新しい時代、新しい政治への希望に満ちています。自民党政治では、どう考えても未来は見えない。国民が打ち破りたいと切望した閉塞(へいそく)感はますます強まるだけ。身近な“あの人、この人”の願いに照らしても、そう思います。
私は、中小業者がひしめく東京の下町で暮らしています。昨年暮れ、業者の実態を知り、驚きました。多くは年間の事業所得が二百万円台で、二十数万円という人もいました。地域経済や日本のものづくりを支える業者が、仕事だけでは生活できない深刻な実態が広がっているのです。国民に絶望やあきらめを与え続ける政治に未来はありません。
未来への希望を語ることは力がいる仕事ですが、手がかりをつかんだ気がしています。いま、新たな仲間を党に迎える可能性がこれまでになく広がっています。党と支持者との敷居が低くなり、呼びかけを待っていたかのように入党する人が相次いでいます。〇三年の総選挙後には、本当に支持してくれたのかと疑念を持つような(笑い)対応に苦しみましたが、いまは、政治を変えたい、党を大きくしたいという決意が、支持者のみなさんに培われていると実感しています。働きかけがもっと広がれば党が政治を動かす世論をつくることができる。まだ歩き始めの経験ですが、私の確信です。
私は二十年前、二十歳で入党しました。核兵器で人類は滅びてしまうとのあきらめがあったときに、核兵器をなくす展望を示し行動する日本共産党に出会いました。未来への希望を持ち、自分にはやるべきことがあると自信をもちました。
あらゆる分野で閉塞感に包まれたいま、党の綱領や活動そのものが希望になると思います。このことを広く深く語るなら、時代を動かす大きな力をつくりだせる。その先頭に立って頑張ります。(拍手)
■200人こす宗教者が憲法9条を守る運動に
■京都 中井作太郎代議員
私は、第二十四回党大会の意義を一言でいうなら「新しい党綱領を指針に、日本共産党の本格的な前進をはたす」ことだと考えます。決議案と中央委員会報告は、日本の情勢を「国民中心の新しい日本への条件をはらんだ歴史的な転機」と特徴づけ、日本共産党こそ民主的改革の展望とその資質をもつ政党の大道をあゆむ政党であることを明確にしました。
憲法をめぐるたたかいは正念場です。中国共産党との理論交流に続く京都での代表団との懇談・交流では、訪問した金閣寺の住職を務める有馬頼底氏をはじめ、二百人を超える著名な宗教者が憲法を守る草の根の運動に粘り強くとりくんでいること、日本共産党が政治的立場、思想信条の違いをこえた国民的共同に努力している姿に驚いていました。「九条の会」は京都では三百を超え、京都市内では小学校の数を上回った行政区も生まれています。大会での解明と展望を力に大いに奮闘したいと思います。
党大会議案でもっとも実感を持って討論されたのは「寒々とした社会」をつくりだしている小泉政治への怒りと告発です。四月の知事選に向け、民主府政の会がとりくんでいる「府民アンケート」は、三万一千人もの封書回答があり、その半分以上に生活不安が書きつづられています。
また、若い世代の大企業中心政治にたいする反撃が始まっています。青年自身の力で「青年一揆」という大集会を成功させたり、学生大会制度を持つほとんどの大学で大会を成功させています。不破議長、志位委員長、市田書記局長ら幹部を迎えての学内講演会を成功させたことは、七〇年代にもなかったことです。
二十一世紀に入っての五年間、逆風と突風の中で三千人を超える党員を迎え、読者拡大でも十八年ぶりにほぼ前大会水準を維持して大会を迎えました。先の総選挙では、前の総選挙よりも一万三千票増やしました。その後の合併・中間選挙でも連勝し、いま府内の地方議員の議席占有率は、史上最高の19・2%、京都全体でほぼ五人に一人が日本共産党議員となっています。
決定されるであろう本党大会決議案を血肉にして、新たな意気込みで奮闘する決意をのべて発言とします。(拍手)
■「命どぅ宝」うけつぎ米軍基地なくす世代に
■沖縄 比嘉 瑞己代議員
私は無差別・平等の医療を掲げる民医連病院で働いていました。医療と社会保障改悪のもとで苦しむ患者さんの姿を見てきました。「弱いもの」といわれている人たちは決して人間として弱いわけではない、社会的に弱くさせられているだけです。この人たちを助けるには政治を変えなくてはと昨年七月、那覇市議選に立候補しました。党の六人全員が当選し野党第一党です。(拍手)
生活相談の多さに驚いています。みなさんが、やっとの思いで事務所にこられます。小泉政治のもとで「負け組」にされてきた人たちです。「私がばかだったから」と自らを責める言葉を聞くとき、私は悔しさと怒りで胸が張り裂けそうになります。よく話を聞き、市役所に一緒に行きます。
生活保護を受けるために役所の待合室で待っていると、ひざにのせた相談者の手が震えています。私はおびえ、震えている手を見ると「もっと共産党が強く大きな党にならなければ」と感じます。
私は生活相談を通じ十人を党に迎えることができました。(拍手)
もう一つ、米軍基地と憲法問題が立候補を決意させました。私は本土復帰後の一九七四年に生まれ、戦争を知りません。味方であるはずの日本軍が防空ごうのガマの中でも守ってくれなかった、沖縄戦の実相を知るたびに、なぜ沖縄の人々が日本に帰りたかったのか理解できませんでした。
「日本は、二度と戦争をしないと誓った憲法をもっていたからだよ。九条のもとに帰りたかったから人々は手をつなぎ、立ちあがったんだ」。先輩党員から話をきき、私は沖縄に生まれ育ったことを誇りに思いました。
七三年に沖縄が本土復帰した翌年、沖縄人民党は日本共産党に合流しました。当時の『前衛』大会特集は、島ぐるみのたたかいを評価し、党への参加を心から歓迎すると書いています。
復帰から三十四年たちました。共産党は常に基地をなくす運動の先頭にたってきました。名護市辺野古の海に新基地建設のためのくいを一本も打たせていません。サンフランシスコ条約を死文化させたように、日米間のSACO合意を破たんに追いこみました。人々が立ちあがり、行動を起こすとき時代を変えることができると学びました。
「命どぅ宝」の精神をくみ、引き継ぎ、私たちの世代が平和憲法を守り抜き、沖縄から、日本から、世界中からすべての米軍基地をなくす世代になります。(拍手)
■ささいな悩みを大切に新入看護師と信頼関係
■福岡 湯浅 陽子代議員
「党勢拡大の大運動」で目標を超す二十一人の民青同盟員を迎え、党員は昨日、目標の十人を達成しました。(拍手)
職場には、毎年五十人以上の新入職員が入ってきます。こうした若い人たちのなかにどうやって党を広げていくか、日々模索しながら活動していますが、信頼関係をつくることが大事だと思っています。どんなささいな悩みにも寄り添い、去年は、民青で「お悩み班会」をしました。寄せられたアンケートをもとに、先輩の看護師が答えるのですが、本当に素朴な質問が出されました。なかには「職場の人間関係を教えてください」(笑い)というものもあり、ここぞとばかりに「いろんな人がいるから、私たちを頼って」と真正面からアピールしました。
私たちの運動の支えとなっているのが、党員の先輩職員です。チームプレーで党員や「赤旗」読者を増やす経験も生まれています。業務だけでなく、志の同じ仲間としてともに悩み、考えてくれる先輩の支えは、青年支部にとって必要です。
青年にとって活動の原動力は、やはり学習です。仲間と一緒に学びたいという要求もあって、〇五年春から毎週始業前の一時間、「アサガク」をしています。チューターがテーマを持ちより、医療にかかわるものから平和・社会問題まで幅広く学習しています。アサガクはポイント制になっていて、参加すると二点(笑い)、チューターをすると四点、遅刻はマイナス一点です。夜勤明けの参加はポイントが二倍(笑い)になります。ポイントが埋まると図書券がもらえるなど学習意欲を評価するものになっています。ライバル心も芽生えますし、楽しみながら活動することを、学習を通して身をもって感じています。
地域には、政府の低医療費政策のもと、患者になれない病人があふれています。千鳥橋病院にも、ホームレスや社会的な問題を抱えた人が多く来院されます。こうした現状に、日々葛藤(かっとう)しています。そんなとき、どこに問題があり、どうすれば解決できるか。その解決方法、未来社会への展望を示してくれる日本共産党と仲間の存在は、何にも替えがたい希望です。この党を、〇七年の選挙で前進させるために、引き続き頑張ります。(拍手)
■「戦争を語り聞く会」新聞報じごっつい評判
■鳥取 西川 肇代議員
私は鳥取市の旧中心市街地の高齢者の多い二十四人の支部の支部長をしています。当年八十歳と七カ月、党歴五十六年です(拍手)。今回はじめて党大会代議員に選出されまして感謝、感謝の気持ちで発言させていただきます。(大きな拍手)
昨年の五月から地区の公民館を借りまして十四人で「戦争を語り聞く会」を結成しました。その後七月、九月、十一月と二カ月ごとに会を開いて三十五〜四十人の集会をしています。
単なる昔の思い出話をする会ではなしに、過去の無残で悲惨きわまりない歴史を想起しながら、現在を検証し日本の将来、未来を切り開くための会だと思っています。
かつての戦争を体験した加害者が、日本が再び戦争する国に逆戻りしたくない、させたくない、理屈ぬきの戦争の実態を伝えて戦争を経験したことのない各階層に訴えたいと思って頑張っています。戦争に参加して多くの戦友を失った、そしてくしくも九死に一生を得た私の責務だと考えて活動しています。生き延びた者として、内外の多くの戦争犠牲者にたいする責務であることを痛感している日々であります。このことが「しんぶん赤旗」、さらに朝日新聞の鳥取版でカラー写真入りでトップで報道され、ごっつい評判になり、大反響がありました。(拍手、笑い)
とくにうれしかったのが昨年の十二月のことです。高校の先生から担任の一年生と三年生に話を聞かせたいと話がありました。若い人に聞いてほしかった私には願ったりかなったりで話をしました。聞いてくれた八十人全員が感想文を書いてくれました。それを読んで私が感激しました。私の、孫にあたる子どもたちが「戦争はいっちゃいかん」という気持ちになってくれたということで、それに激励され、ますます意欲を燃やしています。
一月からは参加者の要望に応えて「会」のなかに三十分ぐらいの「憲法講座」をもつ計画をしています。平和と安全、いかなる戦争も地球上から一掃するという、八十四年、結党以来の共産党の“専売特許”の旗を高く掲げてこれからもたたかっていきたいと思います。(大きな拍手)
■目標あいまいにせず25カ月連続読者前進
■宮城 斎藤 孝代議員
仙台西地区委員会・けやき職場支部の支部長をしています。二年前に、仙台市内にある情報関連職場の党員が集まって結成された職場支部です。
支部結成の時に、「政策と計画」を作成し、総会ごとに充実させてきました。メディアが本来の役割を果たしていない中で、もっと国民に事実を伝えることが必要です。そのことで、怒りがわき、たたかいが起こります。それらの点を深めながら、「政策と計画」の「政策」を追求しています。
そのうえで、「政策と計画」の「計画」の具体化を進めています。具体的な課題は三つです。
一つ目は、支部活動・支部運営についてです。
支部会議を特別に重視しています。会議に集まってもらうために、パソコン・携帯メールで会議のお知らせや支部員の近況、党勢拡大の訴えなどを週初めに送信しています(どよめき)。ほとんどの支部員は、仕事前にメールを読むはめになっています。(笑い)
また、月一回の指導部会議を重視して、当面と中長期の計画をつくり活動を進めています。ここでは「目標をあいまいにしない」ということを大事にしています。
二つ目は要求運動についてです。党支部が職場の労働者の要求実現の先頭に立つことと、地域との共同を重視しています。二年前に、嘱託社員への解雇が発生しましたが、職場の組合や上部単産と一緒にたたかい、一カ月で解決しました(拍手)。解決後、解雇された女性から年賀状が届き、お礼とともに「入党したい」と書いてありました。長い人生の中で、「入党したい」と書いてある年賀状を受け取ったのは初めてです。(笑い)
三つ目は、党勢拡大についてです。支部結成の時に、党員三人、日刊紙読者五人、日曜版読者五十人、後援会員五十人の目標を決めました。小さな支部ですが、党を大きくしたいという気持ちで、二十五カ月連続で読者をふやすことができました(拍手)。今月も読者をふやし党大会に参加することができました。
足を踏み出せばまだまだ可能性があると実感しています。もっともっと広大な空白職場に党をつくっていきたいと考えています。党大会を契機にさらに奮闘する決意です。(拍手)