2006年1月8日(日)「しんぶん赤旗」
2006世界の表情
地球温暖化防止
離脱の米国 孤立化
二〇〇五年は、地球温暖化防止の国際的取り組みにとって画期となりました。二月に京都議定書が発効し、十二月のモントリオール会議(気候変動枠組み条約第十一回締約国会議=COP11=・京都議定書締約国会合)では、運用ルールが正式に採択されました。議定書は今年、本格稼働を始めました。(ワシントン=鎌塚由美)
■京都議定書が本格稼働
モントリオール会議では「ブッシュ政権の妨害が『マジノ線』(難攻不落の防御線)のように崩壊し始めるのを誰もが目にした」―米国の環境シンクタンク、世界資源研究所のジョナサン・ラッシュ会長は指摘します。
京都議定書に加わる諸国は、温室効果ガスの削減目標を定めるなど議定書の枠組みを一三年以降も継続させることを前提に次期枠組みの交渉を開始。次期約束期間との間に空白を生まないように結論を出すことを決定しました。
中国やインドなどの発展途上国は、途上国も含めた次期以降の枠組みについて議論を開始することに合意しました。
完全な孤立を避けたい米国は、話し合いの大枠にとどまり、京都議定書以後の温暖化防止対策をめぐる「対話」に加わることに合意しました。
■NGOが後押し
先進国に温室効果ガスの削減を義務付ける京都議定書が採択されたのは、一九九七年の京都会議(COP3)。発効まで七年強を要しました。その道のりは容易ではありませんでした。
〇一年に就任したブッシュ米政権が一方的に離脱したことで、議定書は危機にひんしました。発効要件は、五十五カ国以上の批准、そして批准した先進国の排出量(九〇年時)の合計が世界全体の55%を超えていることです。米国は36%(同)で世界最大の排出国だけに、離脱表明は世界に衝撃を与えました。
しかし、温暖化防止に向けて国際社会で粘り強い交渉が進められてきました。後押ししたのは、環境NGO(非政府組織)を先頭にした市民運動でした。
〇一年七月のボン会議(COP6再開会合)で各国政府は、京都議定書の運用ルールの枠組みを決める政治的合意(ボン合意)に達し、議定書は息を吹きかえしました。その後、各国が批准に動き出すなかで、〇二年一月のモロッコ・マラケシュ会議(COP7)では、運用ルールについて最終合意しました(マラケシュ合意)。
■ロシアが批准し
京都議定書発効の決め手を握っていたのがロシアでした。世界の排出量の17%(九〇年時点)を占めるロシアは、ブッシュ政権の離脱で議定書への消極姿勢を示しましたが、〇四年十月ついに批准。議定書は〇五年二月に発効しました。
「米国や温暖化問題に懐疑的な国々がますます孤立し、ブッシュ政権は国内政策でもけん引力を失い、温暖化対策で地球規模の協議で置き去りにされる」―ラッシュ会長は〇五年十二月十四日、ワシントン市内で講演し、〇六年をこう展望しました。
京都議定書を第一歩として温暖化対策に取り組んでいくよう求め続けた国際NGOからは、議定書つぶしを狙った米国の離脱は「完全に政治的な誤算だった」との声があがっています。