2006年1月8日(日)「しんぶん赤旗」
印パ「平和バス」裏方さんの奮闘
支えは“共に歩もう永遠に”
インドとパキスタンが領有権を争うカシミール地方では、昨年四月から「平和のバス」が運行しています。インド側スリナガルとパキスタン側ムザファラバードの間を走り、途中で停戦ラインをまたぎます。両国間の和平の象徴とされ、この名前が付けられました。
ムザファラバードのバスターミナルを訪ねると、二人の職員が一生懸命に仕事をしていました。バスはほぼ二週間に一度の運行。乗車するには両国政府の許可が要ります。これまで七百人ほどが乗車しました。
ターミナル部長のイジャダ・アフマドさん(37)は、現在の部署に就く前は税務署の職員でした。コンピューターを担当するリアクアット・ナクイさん(35)は選挙管理委員会で働いていました。
「配置転換の辞令を受けたときは戸惑った。やりたくなかった。バス運行の責任者から直接、電話がかかってきて説得された」と、ナクイさんは正直に話します。
しかし、申請者が非常に多いことからその仕事の必要性を痛感、「いまではこの仕事ができて幸運だと思う」と感じるようになりました。
一時期は一日十八時間労働の日々が続きました。申請者は約二万人に上ります。しかし、昨年十月八日のパキスタン地震により、それまでに申し込んだ一万八千人分の書類は消失、一からの出直しです。
ナクイさん自身の自宅も地震で倒壊、六歳の息子が死亡しました。現在は妻と子ども二人、両親とともにテントでの生活です。
アフマドさんは母親の姉がインド側にいます。いわゆる離散家族の一人です。「おばも申請したのですが、まだ許可されていません」。五十年以上、再会できずにいる母親がかわいそうでなりません。
「申し込みに来る人がすべて親せきに思えてくるんです。離れ離れになった家族の気持ちが痛いほどわかるから」
アフマドさんも地震で自宅が半壊しました。避難生活と仕事との両立は「かなりきつい」といいます。
困難な中、二人の“裏方さん”を支えている言葉があります。
「カシミール人は共に歩もう、永遠に」
事務所があるビルの壁にも、同じ看板が設置されています。
(パキスタン側カシミール・ムザファラバード=豊田栄光)