2005年12月27日(火)「しんぶん赤旗」
主張
JR羽越線脱線事故
警戒していたはずなのになぜ
秋田発新潟行きJR特急「いなほ14号」が、山形県の最上川鉄橋付近で脱線・転覆し、乗客四人死亡、三十人余がけがをする大事故になりました。事故発生は、二十五日午後七時すぎ。吹雪の中で懸命な救出作業が行われました。夜が明けてから壊れた車両から運び出されたものの、残念ながら死亡された方もいます。
亡くなられた方々、ご家族に、心からお悔やみ申し上げます。けがをされた人たちの一刻も早い回復を願います。
■暴風雪警報のなかで
事故現場は、酒田市の南に隣接する庄内町(余目町と立川町が七月に合併)。JR羽越線の最上川にかかる鉄橋の南側です。特急列車は六両編成で、全車両が脱線し、そのうち三両は左側に転覆しました。とくに、先頭車両は、台車がはずれ、線路脇の家畜小屋にぶつかって「く」の字に曲がり、大破しました。
JR西日本の福知山線脱線事故(四月)を思い起こさせる状況で、車内に閉じ込められた乗客の救出を困難にしました。
運転士から聞き取りをしたJR東日本の発表によれば、「最上川橋梁(きょうりょう)を渡ったところで、右側から雪を伴った突風が吹いてきた。同時に左側に車体が傾いた」とのことです。事故当日、山形県庄内地方には、午後三時すぎから暴風雪・波浪警報が出ていました。気象状況と運転士の証言からすれば、列車の脱線・転覆に突風が大きな影響を与えたであろうことはわかります。
しかし、事故原因は、多角的に追究し、解明しなければなりません。単純に“想定外の自然現象”のせいにしてしまっては、再発を防ぐ対策にはつながりません。
事故を起こした「いなほ14号」は、一時間以上の遅れとなる大雪、暴風雪・波浪警報が出ているなかでの運行でした。慎重のうえにも慎重を期すのが当然でした。厳しい気象条件について警戒していたはずだったのに、どうして事故になってしまったのか。その点を、徹底的に究明し、再発防止策をたてるべきです。
JR東日本は、風速二〇メートルを超した場合に運転指令に報告、二五メートルで徐行、三〇メートルで停止することになっているが、事故当時は二〇メートル程度で、通常走行できたと説明しています。
しかし、国鉄時代には、一九八六年の山陰線余部(あまるべ)鉄橋事故(強風にあおられて列車が転落し、まきこまれた六人が死亡)の後、風速二〇メートルで運行禁止という基準になっていました。それが、国鉄分割民営化で、JRの各社ごとの規定となり、緩和された形となっています。
もともと庄内町は年間をつうじて風が強いことで有名で、風力発電設備が町内に五カ所あり、合わせて三千二百キロワットの出力になるほどです。冬の季節風は非常に強く、最上川のような大きな河川にかかる鉄橋は、風の影響をより大きくうけます。風が、平均的に吹くものでないことも自明で、瞬間的に強い突風が吹くことも想定しなければなりません。
地域の特性にあった形で、厳しい気象条件に対応する態勢になっていたのかどうか。JR東日本の運行システム、安全問題での国土交通省の監督責任が問われています。
■救助の努力に敬意
氷点下、雪まじりの強風という悪条件ですから、救助が遅れれば、被害がもっと大きくなる危険もありました。すばやく、夜を徹して救助にあたった方々の努力に敬意を表します。その努力が、今後の救助体制強化につながることをのぞみます。