2005年12月13日(火)「しんぶん赤旗」

生前のビデオで証言

「横浜事件」再審で元被告

遺族4人も 戦前の拷問を批判


 戦時下最大の言論弾圧とされる「横浜事件」で治安維持法違反に問われ、有罪とされた元被告五人の再審第二回公判が十二日、横浜地裁(松尾昭一裁判長)で開かれました。元被告は全員死去しているため、公判では一九八九年に元中央公論編集者、故木村亨さんらの証言を収録したビデオ「横浜事件を生きて」が証拠として再生され、元被告の遺族四人が証言しました。公判はこの日で結審し、判決は来年二月九日に言い渡されます。


 木村さんはビデオの中で、人権を無視した特高警察の拷問を厳しく非難。「人権というものは勝ち取るものだ。横浜事件の再審請求を通じて古い日本を捨て、新しい『人権日本』に生まれ変わらなくてはならない」と語っています。

 木村さんの妻、まきさん(56)は「(夫は)パンツのみで丸太の上に正座させられ、竹刀や木刀、荒縄などで拷問された」と証言。特高が「小林多喜二はどうして死んだか知っているか。小林のようにしてやる。天皇に逆らった者はこうしてやる」などと罵倒(ばとう)し、「気絶してもはげしい拷問を繰り返し、夫は腕をつかまれ『私は共産主義者である』などと書かれた紙に無理やり母印させられた」と詳細に話しました。

 まきさんは「戦争反対の意思を持っていただけの人を治安維持法違反の容疑で引っ掛け、逮捕、投獄し拷問したことは許せない。国による犯罪で被害者になった人を無罪と認めると同時に、戦後の司法の過ちを認めてほしい」と訴えました。

 故高木健次郎さんの長男、晋さん(64)は「木刀で殴打されたももが腫れ上がり、(父は)出獄後しばらく正座もできなかった」と証言しました。

 故平舘利雄さんの長女、道子さん(71)は「治安維持法が引き起こした事件を司法人としてどう決着をつけるのか」と裁判官に迫り、故小林英三郎さんの長男、佳一郎さん(64)は「歴史的事件の真実を忘れず、今日も続く問題の全容を解明し、未来に続く判決を願う」と訴えました。

 弁護側は検察側の免訴主張について、「無実の罪に問われ人間としての尊厳を踏みにじられたまま、無念の死を遂げた元被告から名誉回復や刑事補償など具体的な法的利益を奪うものであり、許されない」などと批判。

 最終弁論に立った竹澤哲夫弁護士は判決において(1)「横浜事件」の全体像を解明(2)拷問がもたらした肉体的被害にとどまらず「心の被害」の大きさを考慮(3)拷問による虚偽自白の実態を直視―することを裁判所に要望。ねつ造事件の全解決を求めました。


■父がいないこと残念

■元被告の遺族らが会見

 横浜事件元被告の遺族らは公判後、横浜市で記者会見。裁判で証言した元被告の遺族四人と森川金寿弁護団長(92)が公判の感想を述べました。

 平舘道子さん(71)は「実際体験し、記憶していたことを話した。あの時代がどんな時代であったのか、弾圧が子どもの目から見て、どんなものだったのか話すことができてよかった」と話しました。

 「父がいないことが残念だ。判決が待ち遠しい。判決後、当事者が心静かに眠れることを祈っている」と故小林英三郎さんの長男佳一郎さん(64)。故高木健次郎さんの長男、晋さん(64)は「報道関係者、傍聴者に父たちとわれわれがしてきたことを知ってもらえて有意義だった」と語りました。

 木村まきさん(56)は亨さんの遺骨とともに裁判に出席。初めて買った登山靴を履いて裁判に参加したと述べ、「判決が出たことで横浜事件が終わるわけではない。今後も横浜事件について知ってもらうようしっかり歩いていきたい。だから登山靴を履いてきた」。

 森川弁護団長は「(結審したことを)感慨無量だ。再審できたことは意味のあること」と振り返りました。

 ▼横浜事件 太平洋戦争中の一九四二年七月、政治学者細川嘉六氏が雑誌『改造』に掲載した論文が「共産主義の宣伝」とされ、知識人ら六十人以上が逮捕されました。特高警察の厳しい拷問などで四人が獄死。約半数が治安維持法違反で起訴され、有罪判決を受けました。同法は、天皇制批判に死刑を科すなど思想そのものを取り締まる希代の悪法。四五年八月のポツダム宣言受諾で失効、同年十月十五日に廃止されましたが、横浜事件では同年八月末から九月までに有罪を確定させました。第三次請求で東京高裁は今年三月、横浜地裁に続いて再審開始を認め、十月に同地裁で再審初公判が開かれました。


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