2005年11月23日(水)「しんぶん赤旗」
麻生氏発言の意味するもの
外相の資格ない
麻生太郎外相の発言は、同外相自身の歴史認識にはねかえる重大なものです。
麻生氏は、遊就館の展示は「その時はそうだったという事実を述べているにすぎない」といいます。しかし、世界から問われているのは、遊就館の展示が、まさに侵略戦争を推進していた当時の政府や軍部の言い分そのままだということです。
同神社宮司が、遊就館の「使命」だとしている「近代史の真実」なるものも、日本の侵略戦争が「自存自衛」と「皮膚の色とは関係ない自由で平等な世界」のための「避け得なかった戦ひ」(『遊就館図録』)だったというものです。これこそ、当時の天皇制政府が太平洋戦争にあたって出した「開戦の詔勅」そのままの理屈です。「詔勅」は、「帝国は今や自存自衛の為蹶然(けつぜん)起つて…」とか、「東洋永遠の平和を確立」するなどと正当化しました。遊就館は、まさにその理屈にたって、「当時はそうだった」と堂々と正当化しているのです。
しかし、歴史は、「開戦の詔勅」の言い分が、中国をはじめアジア諸国をじゅうりんした犯罪的な侵略戦争を覆い隠すだけの欺まんだったことを明らかにしました。その認識が戦後国際社会の原点にすえられました。
だから、小泉純一郎首相も靖国神社の歴史観について「支持していない」(十九日の記者会見)とのべたのです。
麻生氏の発言は、自らがいまだに当時の政府・軍部の言い分そのままの認識にあることを告白するようなもの。戦後の国際秩序に挑戦する歴史認識しかない人物に、外相の資格はありません。(藤田健)