2005年11月10日(木)「しんぶん赤旗」
愛と平和求めた本田美奈子さん
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本田美奈子さんの取材をしたのは、赤旗記者だった二年前、若い読者からもらった手紙がきっかけだった。本田さんのことを何も知らない僕は、ただただ「最近、愛と平和をこんなにも高らかに歌うボーカリストは他に知りません」という強い言葉に惹(ひ)かれて動き出したのだ。
夏の暑い日、東京・恵比寿の小さな公園で撮影した。目が覚めるようなショッキングピンクのタンクトップと目茶苦茶ほっそいジーンズを穿(は)いてさっそうと現れた本田美奈子さんは、笑顔の素敵な女性だった。それでもカメラマンは「表情がかたい」と言う。本田さんが慣れたように「記者さん、わたしに、いろいろ質問して」と言い、僕は「好物は何ですか?」「趣味は何ですか?」などと野暮なことを訊(き)き、「お見合いじゃないんだから」とハハハと笑われた。
事務所でのインタビューは、主にイラク空爆と重なったレコーディング時期に何を考えながら歌ったのかを問うものになった。アイドル時代のロック調から一転して、最新アルバムは、クラシカルな楽曲に平和の尊さを訴えた自作詩をのせ、鍛えられたハイトーンボイスで歌い上げるものになっていたからだ。彼女はこんな言葉を残している。
「どのチャンネルも戦争ばかりで…。だから、憎しみ争い、自分の心が黒い影に染まる世界ではなく、笑い合い励まし合える世界を願って詞を書いたんです」(〇三年八月二十三日付)
忘れられないのは、取材を終えてノートやテープを仕舞っていた僕に、本田さんが「こんなに真面目に真剣にわたしの歌のことを訊いてくれた記者はいません」という言葉をかけてくれたことだ。「ほかの新聞記者は、関係ないことばっかり訊くから」と言い、また笑った。
さらに本田さんは、付き人に「カメラを取ってきて」と頼むと、向かい側から僕の隣りに移動して「ハイ、チーズ!」と元気いっぱいに叫んだのだ(なんとツーショット写真を撮ってくれた!)。このとき僕は、「しんぶん赤旗」の記者だからこそあなたの平和への思いを訊くことができたのだし、それを一流のアーティストであるあなたは正面から受け止めてくれたのだ、と確信し、深い感動にとらわれた。
本田さんの新しい魅力は、愛と平和を希求する姿だった。急逝が惜しまれてならない。(浅尾大輔・作家)