2005年11月10日(木)「しんぶん赤旗」
F15、110件も事故
沖縄・米軍嘉手納基地 県民の願いは撤去
本土へ移転構想 危ない戦闘機
在日米軍の再編で航空自衛隊の五つの基地に訓練の一部を移転する構想がもちあがっている米空軍嘉手納基地(沖縄県)のF15戦闘機が、同基地に配備された一九七九年から昨年末までに、墜落や不時着・緊急着陸など百十件もの事故を起こしていることが九日までに分かりました。沖縄県の資料から本紙が独自集計したもの。
■79年から昨年末まで 本紙集計
訓練の一部移転の候補地にあがっているのは、千歳(北海道)、百里(茨城県)、小松(石川県)、築城(ついき、福岡県)、新田原(にゅうたばる、宮崎県)の各基地。
F15戦闘機の事故記録は沖縄県の「復帰後の米軍航空機事故の概要」から抽出しました。
それによると一九七二年の沖縄の本土復帰から〇四年末までの米軍機の事故総数は三百二十八件。このうち戦闘機や輸送機などの固定翼機は二百四十四件で、ヘリコプター(八十四件)の約三倍です。
F15戦闘機の事故数は百十件で、固定翼機事故数の45%、ほぼ半数に匹敵します。
事故の内訳は、緊急着陸七十九件、不時着七件、墜落七件、部品落下五件、着陸失敗五件、空中接触二件、エンジン火災二件、車輪パンク一件、火炎噴射一件、燃料漏れ一件。
イラク戦争直前の〇二年から急増しています。
米軍の動向を取材している沖縄のマスコミ関係者は「F15戦闘機を含む米軍機事故の件数は統計上ではここ数年で激増している。これは米軍への県民の関心の高まりを背景に、日常的に発生していながら、あまり問題にされなかった緊急着陸などにも、基地周辺住民の監視とマスコミの事故報道を県が米軍や防衛施設局に確認をとるようになったため」とみます。
事故はどれも大惨事につながりかねないものばかりです。
九四年四月四日、嘉手納弾薬庫付近にF15が墜落、戦闘機のタイヤと車軸が牛舎と農場に落下しました。その農場の持ち主だった沖縄市の池原秀明さん(62)=日本共産党市議、沖縄反戦地主会事務局長=はそのときの恐怖をこう語ります。
「その日はたまたま外出中だったが、タイヤは三十キロ、車軸も十数キロの重さがある。牛舎にいたらと身震いしたことをはっきりと覚えています。車軸はいまも家に保管してある。最近もF15同士の空中接触事故があり、先日も尾翼が壊れたと緊急着陸しました。県民の願いは訓練の本土移転ではない、基地撤去です」
茨城県水戸市で平和問題に取り組む新日本婦人の会会員、安本真理子さん(34)は「百里の自衛隊戦闘機が水戸市内の小中学校の上空を頻繁に低空で編隊飛行しています。米軍のF15が百里に来ると聞いて、横浜に米軍のファントム戦闘機が墜落して、小さな子どもが犠牲になったことを思い出しました。米軍機は沖縄からも本土からも撤去してほしいというのが願いです」と話します。
▼F15戦闘機 米空軍の制空戦闘機として一九六九年十二月に当時のマクドネル・ダグラス社(現ボーイング社)が開発した「世界最強の戦闘機」。最大速度はマッハ2・3から2・5。嘉手納基地には七九年から配備され、沖縄県は四十八機の常駐を確認。イラク作戦に参加しています。航空自衛隊も八二年から要撃戦闘機として配備。日米共同訓練で米軍嘉手納基地の空中給油機を使った空中給油訓練を実施しています。
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