2005年11月5日(土)「しんぶん赤旗」
憲法運動は無差別テロ支持勢力にどういう態度をとるべきか
イラク戦争が泥沼化し、世界各地に無差別テロがひろがる事態は、二十一世紀の世界に暗い影を落としています。テロと暴力の悪循環を断ち切ることは、国際社会の切実な課題です。テロ根絶には、テロ勢力を国際社会の包囲で追いつめるとともに、テロの土壌をひろげる報復戦争に反対する国際世論と運動を発展させなくてはなりません。
ところが、日本では、国際的な無差別テロを賛美し、テロリストへの支持・連帯という驚くべき主張をさけぶ集団が策動をつづけ、憲法運動や平和運動に入り込もうとする重大な事態が起こっています。これは憲法運動の大義を根本から傷つけることになりかねません。
■9・11テロを礼賛する「革マル」「中核」
二〇〇一年九月十一日に米国で発生した同時多発テロ事件。それは、三千人近くの尊い生命を奪い、地球文明と人類社会にたいする卑劣で重大な攻撃でした。ところが、この9・11テロを絶賛する異様な主張を展開したのが「革マル派」や「中核派」でした。
「革マル派」は、9・11テロ発生直後から、いち早くこれを礼賛し、共鳴しました。
「この大事件こそは、紛れもなく、アメリカ帝国主義の世界制覇策動にたいするイスラム復興主義の公然たる挑戦の奏効を意味する画歴史的事態にほかならないのである」(機関紙「解放」二〇〇一年九月二十四日号)
「たとえ実行部隊がウサマ・ビンラディンとこれを支え率いるイスラム復興主義勢力のゲリラ・グループであったとしても…アメリカ帝国主義の全世界にたいする経済的・軍事的支配の中枢に風穴をあけた『殉教作戦=ジハード』は、まさにアメリカ帝国主義の世界『一超支配』の暴虐を打ち砕くための“挑戦”にほかならないのであり、その意味において画歴史的行為にほかならない」(同前)
このように「革マル派」は、国際テロ組織アルカイダの指導者ビンラディンの名前もあげながら、9・11同時多発テロを「ジハード」(聖戦)としたうえで、「画歴史的行為」とほめたたえました。
「革マル派」は、その後も無差別テロ礼賛の主張をエスカレートさせていきます。たとえば「解放」〇一年十一月十二日号掲載の論文「ジハード自爆事件のうけとめについて」では、「テロ弾劾」という主張を非難しながら、つぎのような文言を書き連ねています。
「アメリカ帝国主義の『富の象徴』たるWTC(世界貿易センター―引用者)と世界軍事支配の中枢たるペンタゴンにたいして、イスラームの虐げられた民衆の想いを背負い体当たりを敢行した『ジハードの戦士』たちの壮挙。思いもかけず炸裂したこの『対米ジハード』への驚嘆をともなった感激。まだ飛行中のハイジャック機のホワイトハウスまたはペンタゴンへの体当たり攻撃が…『どうか成功しますように』という思い。『ヤンキー、思い知ったか!』という心の叫び。『生きてこの事件を見ることができてよかった』という喜び。――歴史的大事件に直面して自己の中に激しく渦巻いたそういう感情を離れて、大衆に打ち出すスローガンを考えることはできない」
さらに「解放」〇二年一月一日号(新年号)の巻頭論文では、あらためて9・11テロの「画歴史的意義」なるものを、つぎのように強調しました。
「かの<9・11反米ジハード自爆>事件は、ソ連崩壊後のアメリカ一超支配の終焉の始まりを告知した画歴史的事態にほかならない。なぜなら、『経済のグローバル化』と『国境のボーダレス化』と『サイバー物神』という現代資本主義の矛盾をついて、アメリカ帝国主義の中枢に風穴をあけたのだからである」
「われわれが<9・11>事件の画歴史的な意義を確認するのは、それが国際階級闘争の死滅的状況のなかで<反米・反権力>の固い意志をもって敢行されアメリカ国家の中枢に的確に風穴をあけたのだからである」
「革マル派」は、その後も「<9・11ジハード自爆>一周年 闘うイスラム人民と連帯して全世界に反戦の炎を押し広げよ」(「解放」〇二年九月十六日号)と一貫してさけび、テロ勢力との「連帯」という挑発的課題を日本の平和運動にもちこもうとしてきました。
一方、「中核派」も、9・11テロの直後からこれを賛美し、共鳴してきました。
「九・一一はこの米帝の経済と軍事の中枢を壊滅的に痛撃した反米ゲリラ戦であり、アラブを先頭とした被抑圧民族人民の根底的な怒りの炸裂であった。米帝の超大国神話、万能神話は粉々に打ち砕かれた。それは米帝の没落の始まりを衝撃的に告げ知らせた」(機関紙「前進」〇一年十月八日号)
「前進」〇二年一月一日号の「一・一アピール」でも「9・11反米ゲリラ戦争は…特殊的・極限的な形態で貫徹された民族解放戦争だった」「19人の自爆決起は、帝国主義国のプロレタリアート人民の3千数百人の死の重さにもひるむことのない戦闘であった」と、多数の人命を犠牲にしたテロ攻撃を賛美しました。そればかりか、「テロ」を「反帝的な階級闘争、民族解放闘争の不可欠な一形態である」とまでのべました。
つまり「革マル派」や「中核派」は、いわば国際的無差別テロ支持勢力としての立場を公然と表明するにいたったのです。
■「テロ根絶」の主張そのものに悪罵
こうして国際的無差別テロ支持勢力となった「革マル派」「中核派」は、その一方で、日本共産党のテロ根絶の主張そのものにたいして最大限の悪罵(あくば)を投げつけてきました。
日本共産党は、二〇〇一年の9・11同時多発テロが発生した際、米ブッシュ政権による軍事報復の懸念が強まるなかで、国連安保理理事国をはじめ各国政府首脳にたいし「テロ根絶のためには、軍事力による報復でなく、法にもとづく裁きを」と呼びかけた緊急書簡を送りました(同年九月十七日)。
書簡は、9・11テロについて「多数の市民の生命を無差別に奪う憎むべき蛮行であり、絶対に許されない卑劣な犯罪行為」「国際社会全体にたいする攻撃であり、世界の法と秩序にたいする攻撃」ときびしく批判し、「テロの根絶のためには、軍事力による報復ではなく、法と理性にもとづいた解決が必要」という立場を明らかにしました。そして「国連が中心になり、国連憲章と国際法にもとづいて、テロ犯罪の容疑者、犯罪行為を組織、支援した者を逮捕し、裁判にかけ、法にてらして厳正に処罰する」よう提案するとともに、「軍事力による報復は、テロ根絶のための努力の大義を失わせ、テロ勢力にとって思うつぼの事態をまねく危険」があると指摘し、米ブッシュ政権の報復戦争のくわだてを正面から批判しました。テロと報復戦争の悪循環という世界の現実にてらせば、この主張に道理があることは明らかです。
ところが「革マル派」は、テロ礼賛の立場にたって、日本共産党にたいし「今回の<反米ジハード>を『多数の市民の命を無差別に奪う憎むべき蛮行』であるとか『国際社会全体にたいする攻撃』とかと非難することじたいが狂っているのだ」と攻撃し、「『テロ撲滅戦』への太鼓持ち的唱和」「侵略戦争補強勢力」などと非難してきました(「解放」〇一年十月八日号)。
「中核派」も、「日共には、闘うイスラム諸国人民への一片の連帯もない。それどころか帝国主義に全面屈服しその先兵となって『テロ根絶』を叫ぶにいたったのだ」などという見当違いの攻撃をくわえてきたのです(「前進」〇二年一月一日号)。
■憲法擁護の運動の大義にかかわる問題
「革マル派」と「中核派」は、もともとは、一九五九―六〇年の安保闘争以来、民主諸組織が主催する共同の集会などに参入しては妨害行動や暴力的挑発行動をおこなってきた、いわゆる暴力集団の系列に属する勢力です。さらに、「革マル派」「中核派」などは、長期にわたってくり返された凄惨(せいさん)な「内ゲバ」事件によって、自分たちが民主主義とは無縁な暴力・殺人者集団であることを実証してきました。
民主勢力は、これらの行動の“実績”から、彼ら暴力集団を「統一行動の妨害団体」と認定し、「共闘にくわえない」という原則を確立してきました。これは、憲法運動や平和運動の分野でも、大事な原則としてうけつがれてきました。
その「革マル派」や「中核派」が、その暴力性をさらに拡大して、いまや、国際的無差別テロを支持するもっとも危険な暴力集団として現れているのです。
そして、いま重視しなければならないのは、この集団が、「改憲阻止」などのスローガンをかかげて、憲法擁護の運動に入り込むことをくわだて、そこに活動の新たな重点をおいていることです。このようなくわだては、絶対に許すわけにはゆきません。
日本国憲法は、恒久平和と国民主権、基本的人権、議会制民主主義などを基本原則としており、全世界の人びとの「平和のうちに生存する権利」を確認しています。日本の民主主義と平和をまもる運動、とりわけ憲法改悪に反対し、憲法を擁護する運動には、国際的な無差別テロの支持勢力のための場所は存在しません。どんな形をとろうとも、国際テロ支持勢力の参入を認めることは、憲法擁護の運動を深く傷つけ、国際的にも運動の大義を損なう重大な汚点となるでしょう。
だからこそ、本紙は、「革マル派」「中核派」などの暴力集団が、各地で憲法運動や平和運動に参加を策している問題について、警鐘を鳴らしてきたのです(「暴力集団の“泥合戦”―改憲反対運動に入り込む『革マル』と『中核』」五月十八日付など)。
これにたいして「革マル派」「中核派」は、機関紙で「わが同盟にたいする排外主義的敵対」「大衆運動のセクト主義的分断」、あるいは「セクト的利害」による「統一戦線の破壊」等々、非難の声をあげています。
一九五九―六〇年の安保闘争以来、統一戦線の破壊に専念してきた集団が、こういう言葉を口にすること自体、たいへんこっけいなことです。しかも、この集団は、国際的な無差別テロが世界諸国民の安全と平和を脅かすもっとも重大な危険のひとつとなっているときに、その国際テロを賛美する立場に公然と立っているのです。「革マル派」も「中核派」も、どんな詭弁(きべん)をろうしようと、自分たちのこの立場と憲法擁護の立場とは絶対に両立しえないものであることを、自覚すべきでしょう。
この問題について、憲法運動に参加している関係者の一部に、「憲法擁護の運動に『排除の論理』を持ち込むな」といった議論があります。
日本共産党は、政治的立場、思想・信条の違いをこえて、憲法改悪反対の一点での国民的共同をよびかけています。しかし、このことは、「憲法改悪反対」のスローガンに賛成しさえすれば、どんな危険な勢力をも共同にくわえる、ということではありません。私たちは、「革マル派」「中核派」の問題で「排除の論理」を問題にする人に、これらの集団が国際テロの支持・礼賛勢力である事実を、ぜひ真剣に考えていただきたいと思います。そうすれば、このような勢力に門戸を開くことが、憲法擁護運動の大義にかかわる重大な問題であることを、理解していただけるのではないでしょうか。