2005年9月24日(土)「しんぶん赤旗」

日本軍の戦死の6割が餓死?


 〈問い〉 日本軍の戦死者の6割が餓死だったというのは本当ですか?(神奈川県・一読者)

 〈答え〉 アジア太平洋戦争において戦没した日本軍人・軍属の総数は約230万人にのぼります。その過半数は、戦闘行動による戦死ではなく、食糧が補給されないために起きた飢餓地獄の中での野垂れ死でした。この事実は、歴史学者である故・藤原彰氏が『餓死(うえじに)した英霊たち』(青木書店・01年)で実証的に明らかにしました。

 自らも中隊長として中国大陸を転戦した経歴を持つ藤原氏は、大量餓死をもたらした日本軍の体質を明らかにし、この無残な死に対して直接の責任を負う日本の軍事指導者を告発するために、この本を書いたといいます。

 近代初期の日本の戦争研究のなかに餓死の研究はなく、死因別統計もありませんでした。このため、藤原氏は、南方関係の資料や兵士の手記などを丹念に調査し、地域別に戦死者中の餓死者数を割り出しました。

 餓死の一字をとって「餓島」と呼ばれていたガダルカナル島では、死者2万人のうち1万5千人が餓死。東ニューギニアでは9割、インパール作戦では8割、日本軍が最も多い50万の死者を出したフィリピンでは40万人、中国本土では半数が餓死でした。日本軍の戦闘地域を平均すると実に6割以上140万人が飢え死にか、栄養失調が原因の病死でした。日本軍がインパールから後退する道は「靖国街道」「白骨街道」と呼ばれました。

 多数の将兵が、飢えと病気にさいなまれ、やせ衰えて無念の涙をのみ、密林の中で死んでいった原因は、補給無視の作戦計画、兵たん軽視の作戦指導、作戦参謀の独善横暴などにありました。

 このほかにも、戦争指導者の無謀な作戦の結果、連合軍の攻撃による輸送船の沈没で陸軍だけでも約20万人が「おぼれ死んだ」のです。

 こうした犠牲者と、無謀な戦争を遂行した戦争指導者―A級戦犯は明確に区別すべきです。

 藤原氏は生前本紙のインタビュー(01年8月11日付)に「前途有望な青年が、自分の本意でなく召集されて、やせ衰え野垂れ死にしてしまった。その悔しさを、戦争に行った者として伝えたかった」「兵士を餓死に追いやった軍部や“奥の院”の連中が、戦犯にならず、戦後日本社会の中心に座ってきた。靖国問題は、戦争を肯定するか否定するかの問題なのです」と語っています。(喜)

 〔2005・9・24(土)〕


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