2005年9月18日(日)「しんぶん赤旗」
主張
柳条湖事件
権力者のウソは戦争の始まり
「国防は、国民に対する最高の福祉」。自民党は、「重点施策2006」で、こういっています。太平洋戦争末期の日本では、国家予算の半分以上が「国防費」でした。自民党流にいえば、「最高の福祉国家」だった、ということになります。
軍事力強化のために、ウソに等しい詭弁(きべん)をもてあそぶ自民党。根底には、歴史をわい曲し、侵略戦争を正当化する考え方があります。
権力者のウソは戦争の始まり。最近のイラク戦争だけでなく、日本の中国侵略戦争もそうでした。
■侵略推進の仕掛け
一九三一年(昭和六年)九月十八日。中国東北部にいた日本軍=関東軍は、奉天(現・瀋陽)郊外の柳条湖付近で鉄道爆破事件を起こし、「中国軍の仕業」だとして、攻撃を開始(柳条湖事件)。中国東北全域の武力占領をめざし、侵略を拡大しました。
天皇制政府は、「中国軍による鉄道爆破」という侵略の口実がウソであることを知りつつ、「自衛」のための行動だとして、戦費支出と軍隊増派を認め、「満州事変」と呼ぶことを決めました。「事変」としたのは、国際連盟規約や不戦条約(一九二八年)で国際紛争を戦争で解決することが禁じられており、「戦争ではない」といって国際的批判をのがれるためでした。戦争の口実も、呼び方も、進め方も、ウソとごまかしに満ちたものでした。
当時の「二大政党」も、中国東北部侵略を「正当防衛の挙」(民政党)、「自衛権の発動」(政友会)と正反対に描き、積極的に推進しました。
ウソを増幅した新聞の役割も重大です。「奉軍満鉄線を爆破 日支両軍戦端を開く 我鉄道守備隊応戦す」(「東京朝日」)と、関東軍の広報役を務めるにとどまらず、「悪鬼の如き支那暴兵!」(「東京日日」)などと、敵意をあおりたてました。「守れ満蒙=帝国の生命線 日本民族の血と汗の結晶!特殊権益 断じて侵害を許さず」(同前)という見出しは、「満州事変」のスローガンになりました。
一九三〇年代初めの日本は、二九年の世界恐慌の影響などによる深刻な恐慌状態から脱け出せず、東北・北海道の冷害・凶作のために農村女性の身売りが急増して社会問題になるほどでした。生活苦と閉塞(へいそく)感が強まり、正確な情報を知ることができない状況におかれた国民の中には、政府・軍部のウソを本当と信じ、「満州事変」を現状打開の切り札になるかのように受け止めて、熱狂的に支持するムードも高まりました。天皇制政府の暗黒政治と財界、地主の支配が、国民を苦しめる元凶でしたが、生活が苦しいがために、目に見えやすいところに「敵がいる」といわれると、それをやっつければ自分の苦しみが軽減されるかのように錯覚する現象があらわれました。
■戦後60年のたしかな目
日本共産党は、天皇制政府のウソを見抜き、侵略戦争に断固として反対。柳条湖事件翌日の九月十九日には声明を出し、「奉天ならびに一切の占領地から、即時軍隊を撤退せよ!」と要求しました。そして、国民の苦難の打開は、平和と民主主義の確立を通して達成されることを明らかにしました。このたたかいは、現在につながっています。
小泉自公政権は、侵略美化教科書を「検定合格」としましたが、採択率はわずか0・4%にすぎません。国民のたしかな目があり、良識が働いています。権力者のウソは、急速に破たんする時代になっています。