2005年9月5日(月)「しんぶん赤旗」
主張
二つの戦後
百年経ての到達をさらに前へ
ちょうど百年前の一九〇五年九月五日。日露戦争の講和条約が、アメリカのポーツマスで結ばれました。
このポーツマス条約で、韓国にたいする日本の「指導、保護及監理の措置」をロシアが容認し、旅順・大連の租借権、長春以南の鉄道・付属地等の利権、南樺太をロシアから日本に譲渡することを決めました。
これに味を占めた日本の天皇制政府の軍事膨張路線は、四十年で破たん。四五年九月二日、降伏文書の調印、軍隊解散に追い込まれました。
第二次世界大戦後には、日露戦争の後とは違う、平和な歩みが求められました。それを前に進めるのかどうかが、いま、問われています。
■加害者が被害者装う
日露戦争後、天皇制政府は、韓国から外交権や内政権を相次いで奪い、それに反対する義兵運動を武力鎮圧しつつ、一九一〇年の「韓国併合」、植民地化へと突き進みました。
また、中国での利権確保のため、旅順・大連などの租借地=関東州や南満州鉄道の「守備」に陸軍部隊を配置。この関東軍が、一九三一年からの中国東北部への侵略戦争(「満州事変」)の先兵になりました。
中国や韓国・朝鮮の人々は、侵略と植民地支配に反対し、抵抗闘争、独立闘争を展開しました。
天皇制政府は、それを日本の権益を侵害する不当な行為だと非難。加害者でありながら被害者を装い、“日露戦争で血を流して獲得したものを手放せるか”と、国民を侵略戦争に駆り立てました。その結末が、二千万を超すアジア諸国民と三百十万を超す日本国民の犠牲です。
天皇制政府が受諾したポツダム宣言は、「日本国国民を欺瞞(ぎまん)し之をして世界征服の挙に出づるの過誤を犯さしめたる者の権力及勢力」の「除去」、他国から暴力で奪った地域からの「駆逐」を明確にしていました。日露戦争で獲得した領土、利権などは、日本から切り離されました。
しかし、それとは比べものにならない「宝」を、日本は獲得しました。侵略戦争の否定のうえに成立した日本国憲法です。第九条で戦争放棄・戦力不保持・交戦権否認を明記し、平和と人権、民主主義を擁護する国として再出発する道を開きました。これをまっすぐ進めば、アジア諸国民との友好も回復・発展します。
問題は、小泉首相の靖国神社参拝、憲法改悪の動きが、平和と友好の重大な逆流になっていることです。
首相の靖国神社参拝は、侵略戦争と植民地支配を正当化する靖国神社の誤った戦争観、独善的な歴史観に、政府として「お墨付き」を与えることです。しかも、自民党の「新憲法案」は、九条の戦争放棄・戦力不保持・交戦権否認の規定を全面削除して、「自衛軍」の保持を明記し、海外に派兵できる内容にしています。日本を再び「海外で戦争する国」に変えようとするものです。
民主党も、改憲の基本方向では自民党と変わりません。公明党も「加憲」の名でそれに合流しています。
■侵略正当化を許さず
日本共産党は、一九二二年の党創立以来、侵略戦争反対、植民地解放の旗を掲げ、弾圧に屈せずたたかってきた党です。侵略戦争正当化の動きに強く反対し、首相の靖国神社参拝中止を求めています。そして、日本を「戦争する国」にしないため、憲法をまもりぬきます。
四五年の9・11は、占領軍が東条英機ら戦犯の逮捕命令を出した日。今年の9・11は、国民の手で、歴史の逆流を許さず、平和の歩みを進める審判を下す日にしましょう。