2005年8月28日(日)「しんぶん赤旗」
マスメディア時評
国民の選択ゆがめる
自・民「対決」報道
衆院の解散から約二十日。郵政民営化法案をめぐる自民党内の「対決」に異常な熱中を見せてきた新聞、テレビなどの報道には、マスメディアの内部からさえ、批判の声があがるようになりました。反対派に「刺客」を送ってまで党内対立を演出した「小泉劇場」政治に迎合したこの間のマスメディアは、事実を伝えるべき報道が、面白ければなんでもよいと文字通り「ワイドショー」化している姿をまざまざと見せつけました。
■民主的感覚の鈍さも問題に
問題なのは、総選挙の公示が近づくとともに、それに加えて「自民『郵政』vs民主『年金・子育て』」(「朝日」二十六日付)などと、政党対決を自民・民主の二大政党の「対決」に単純化させる報道が強まっていることです。
いうまでもなく選挙は、各政党が候補者を立て国民の支持を争う、民主主義にとって大事な機会です。その選挙の報道にあたって、一部の政党だけに的を絞ること自体、報道に不可欠な公正さを欠くばかりではなく、国民の「知る権利」や民主主義そのものを損なうものです。
マスメディアの中には現在の小選挙区制が大政党に有利なことを根拠に、ほとんどの小選挙区が自民と民主の争いになっている、「自・民激突」だと、したり顔に解説して見せるものもあります。(「朝日」二十一日付、二十八日付など)
しかし、国民の意思を議会の構成に正しく反映させるという選挙制度の大原則に立てば、問題にすべきはむしろ小選挙区制の欠陥です。それには口をつぐんで「自・民対決」の図式を繰り返しているだけでは、マスメディア自体の民主主義的感覚の鈍さをも問題にしなければなりません。
■違いがないと承知のうえで
見過ごせないのは、日本の政治の現実にあって、自民党と民主党の間には基本的な違いがないことがいよいよ明らかになっているのに、選挙ではことさら自・民の「対決」を描き出してみせる、マスメディアの報道のいかがわしさです。
自民と民主の政策に違いがないことは、今度の選挙の焦点となっている、郵政民営化や構造改革の問題でも、増税や改憲の問題でも、多少踏み込んでみればすぐわかることです。それをしないで「対決」などというのは、郵政民営化をめぐり小泉首相と自民党内の反対派の「対決」を最大の焦点であるかのように描いた、これまでの「小泉劇場」型報道と国民を欺く点でまったく同じです。
だいたい前回の総選挙の結果、自民と民主で議席の八割以上を占めるようになった衆院の論戦について、「べたなぎ国会」だとか、問題先送りの「思考停止国会」だと批判(「朝日」三月二十四日付社説)し、「『国会空洞化』を招いた責任は野党第一党・民主党」(「毎日」同)とまで指摘したのは当のマスメディアではなかったのか。
その同じメディアが、選挙になると自らの批判を忘れたように自・民「対決」の図式をくりかえし、政権交代によって政治がよくなるようにふりまいても、国民を納得させることはできません。
今回の選挙にあたって、財界が中心になった「21世紀臨調」は提言を発表し、「検証大会」なるものも開いて、マスメディアに対して、「政権選択」つまり「自・民対決」型の報道を行うよう注文をつけています。マスメディアはこれまでの自らの報道や論評とは矛盾するのも承知で、こうした財界の期待に応えようというのでしょうか。
■みずからに批判跳ね返る
選挙にあたってマスメディアの報道にまず求められるのは、各党の政策の中身を伝え、国民に判断材料を提供することです。それに背を向けた根拠のない「対決」報道では、国民の選択肢を狭めることになります。マスメディアが「対決」の虚構性を承知の上で、再び自・民「対決」を演出するなら、その愚は国民の厳しい批判となって、自らに跳ね返るでしょう。
(宮坂一男)