2005年8月27日(土)「しんぶん赤旗」
200万餓死者を追悼
60年前の日本軍占領下で発生
ベトナム
【ハノイ=鈴木勝比古】ベトナム・ホーチミン市のビンギエム寺(永厳寺)で二十六日、六十年前に日本軍占領下で発生した飢餓による大量の死者を追悼する式典が行われました。
ホーチミン市仏教会が主催しました。同仏教会によると、ベトナムの仏教寺院で当時の餓死者の追悼式をこのように盛大に行ったのは初めてのことです。
ベトナム北部・中部では一九四五年の冬から春にかけて大飢餓が発生し、ベトナム政府の推定によると約二百万人が餓死しました。日本軍によるコメの強制買い付け、食用作物の軍需作物への転換強制、連合軍の爆撃の激化と前年秋作の凶作が重なって起こりました。
追悼式の委員長をつとめたホーチミン市仏教会のチー・クアン師は、「二百万人の餓死は日本ファシズムが引き起こしたものです。当時、南部にはコメがありましたが、北部に輸送できませんでした。北部で起こったこの大惨事を南部の住民も共有するべきです」と語りました。そして、「すべての人が歴史で何が起こったかを理解し、平和と独立の尊さを理解すべきです。二度とこのようなことを起こさないために、六十年前のできごとを私たちは忘れるべきではありません」と語りました。
ベトナム仏教会のドゥック・ギエップ師が開会のあいさつをおこない、一九四五年の八月革命、九月二日の独立宣言とともに、「この年に二百万人の同胞が餓死したことも記憶にとどめるべきです」と語りました。
当時、ベトナム北部で飢餓の惨状を写真に撮った写真家のボー・アン・ニン氏は「六十年前の光景を今までずっと忘れることができませんでした。この式典に参加して胸のつかえが少しとれました」と語りました。北部のハイズオン省出身で現在、ホーチミン市在住の女性(73)は「私は当時、十三歳でした。今でも多くの人が倒れて死んでいた光景を覚えています」と語りました。
式典には約四百人の僧侶が参列、一般参加者を加えれば参加者は七百人を超えました。同市人民委員会や共産党の代表も参列しました。ホーチミン市の他の寺院でも追悼式が行われ、全体で約千人の僧侶が追悼行事を行いました。