2005年8月18日(木)「しんぶん赤旗」
看護・福祉充実へ人員ふやして
労組結成相次ぐ
「ちょっと待ってが多いね」といわれショック
「安全・安心の看護がしたい。だから労働組合が必要だ」。患者・国民の命と健康を守る医療・福祉の職場でいま、労働組合の結成が相次いでいます。過酷な労働条件のもとに置かれながらも、明るく粘り強く仲間づくりに奮闘している医療労働者を追いました。
■少人数でこなす
「患者さんから『看護師さんは、ちょっと待ってが多いね』といわれ、ショックでした」。霞ケ浦に面した茨城県の民間・美浦(みほ)中央病院で働く高原紀幸さん(25)はこう振り返ります。
看護師になって四年。「いい看護をしたい」という高原さんの願いとは裏腹に、有給休暇が取れず、代休はたまる一方。勤務のシフトもまともに組めないほどの少人数で仕事をこなす日々です。
病院側は昨年十一月に突然、年末一時金の〇・三カ月分カットを発表。だれでも見られる場所に掲示する必要がある就業規則は労働者に知らされず、基本給がどれだけ支給されているか、賃金票はさっぱりわからない状況でした。労働者有志で「年末一時金カットについて納得のいく説明を」と署名を集めたものの、病院側の圧力で提出できなくなってしまいました。
病院には十数年前、労働組合がありましたが、当時の組合執行部が退職するなどで目立った活動ができず、停止状態が続いていました。
「個人で要求してもつぶされてしまう。労働組合を再建しよう」
インターネットで医療分野で活動する日本医労連を知り、看護師歴六年の武田弘行さん(27)らが茨城県医労連に相談しました。
労働者に慎重に声をかけ、急速に準備をすすめ、二月に組合結成を通告しました。委員長は武田さんが引き受けました。
■初めて気づく事
「組合をつくって、勉強して、初めて気づくことばかり」と武田さん。「就業規則では、就業時間は午前九時から午後五時までなのに、僕らは夜勤をやっているんです」と高原さんもいいます。
三回の団体交渉で明らかになったのは、病院の収益が前年より約一億円減っているということだけで、病院側が主張する賃下げの根拠がまったく薄弱という事実でした。
交渉で、「廃止する」といっていた三月末の年度末手当を一律八万円支給させました。定期昇給も「秋には四月にさかのぼって実施する」との回答を引き出しました。
新生組合は要求を前進させ、労働者の七割近くを組合に迎えました。
「患者さんから『ありがとう』と感謝されたときや、元気を回復して退院していく姿をみると、僕らの仕事も報われたなとしみじみ思います」と高原さん。武田さんも「働きやすく患者さんにやさしい病院づくりをめざして、頑張りたい」。
奈良県大和高田市にある特別養護老人ホーム慈光園にも昨年十一月、労働組合が誕生しました。きっかけは、昨年五月に就業規則の改悪が園から提案されたことです。成果主義賃金制度を導入し、欠勤すると住宅手当や夜勤手当などすべての手当を減額する、三月末に支給されていた年度末一時金を廃止する―と削減一色の内容です。
「納得できない」と約三十人の職員が連名で「直談判書」を出そうとしました。相談を受けた奈良県医労連の泉谷昭彦書記長が「それでは法律的な効力もない」と助言するなかで、「いっそ、労働組合をつくろう」と話し合い、二カ月の準備を経て組合を結成しました。
年度末一時金を〇・二カ月分支給させ、欠勤するとすべての手当を減額するという提案は撤回させました。四月から導入をねらっていた成果主義賃金も凍結しています。
組合員は「いくらいっても経営者は聞いてくれなかったが、いまは責任をもった対応になってきた」と喜んでいます。現在、六割を超える労働者が加入しています。
■将来展望もてる
愛知県南知多町にある民間・南知多病院(精神科)にも労働組合ができました。同病院は、七十年以上の歴史を持ちますが、長期入院主体の経営からの転換ができず、収益も悪化していました。
愛知県医労連には、数年前から労働相談が寄せられていました。西尾美沙子書記次長らは「看護師の数も増やし、社会復帰・外来重視の病院経営にし、診療報酬も高める病院政策を示したらどうか」と助言。これまで組合加入に消極的だった職員も「こういう提案なら、将来展望がもてる」と次々に加入しました。
組合の結成を院長に通知すると、院長はすでに病院政策を読んでいました。こう回答しました。「組合を認知します。話し合いのルールをつくり、協議していきたい」(原田浩一朗)