2005年8月9日(火)「しんぶん赤旗」
きょう長崎被爆60年
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長崎市は九日、アメリカの原爆投下から六十年を迎えます。同市内では市主催の平和式典をはじめ、原水爆禁止二〇〇五年世界大会・長崎など、核兵器廃絶と平和を願う諸行事が終日行われます。
長崎原爆死没者は合計十三万七千三百三十九人にのぼります。伊藤一長市長は、被爆六十年の「平和宣言」で、核兵器廃絶と真の被爆者援護を改めて訴えます。
現在、同市在住の被爆者健康手帳保持者は四万八千八百五十九人(六月末現在)、平均年齢は七十三歳です。被爆地域と認められていない地域の被爆者も約八千人います。
六十年前、同市松山町の約五百メートル上空でさく裂した一発の原子爆弾は、一瞬にして十数万の市民を殺傷し、市内全戸数の約36%を壊滅・炎上させました。
医療施設が壊滅したなか、被災者の救援に奔走して自らも白血病で倒れた永井隆博士の活動など、被爆直後の医療・救援は言語に絶するものでした。当時の惨状は、松尾あつゆきや福田須磨子の詩句や多くの人たちによって記録され、いまも証言・記録活動が続いています。
被爆十年後に始まった原水爆禁止運動は、渡辺千恵子、山口仙二、谷口稜曄(すみてる)氏ら、被爆の実相についての被爆者の証言によって世界に広がり、今年の世界大会は過去最高の二百六十四人の海外代表が参加しました。いま、「核兵器廃絶、戦争のない世界」を求める長崎の声は、高校生ら若者の手によって受け継がれています。