2005年8月4日(木)「しんぶん赤旗」
戦後50年国会決議とは
どっちもどっち論で侵略免罪
自民、民主、公明、社民の四党が二日に強行した戦後六十年決議は、「十年前の『歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議』を想起し」という文言を盛り込み、一九九五年六月に衆院で議決された「戦後五十年決議」を持ち出しました。
五十年決議は、当時の自民、社民、さきがけの連立与党が強行したもの。日本共産党は反対しました。決議は「世界の近代史上における数々の植民地支配や侵略的行為に思いをいたし、我が国が過去に行ったこうした行為や他国民とくにアジアの諸国民に与えた苦痛を認識し、深い反省の念を表明する」としています。
このことが、過去に世界列強がおこなった植民地支配、侵略行為と日本の侵略戦争を同列視したものであることは、決議の経過が雄弁に物語っています。
たとえば、自民党が与党内協議(当時は自社さ連立政権)で示した第二次案には「列強が他国への侵略的行為や植民地支配を競い合った一時期、我が国もその渦中にあって…ついには、多くの国々と戦火を交えた」としていました。「侵略的行為や植民地支配」の主体はあくまで「列強」で、日本はやむにやまれず「戦火」をまじえたという構図です。
社会党(当時)の第二次案も「十九世紀後半からの列強間の帝国主義的対立の中で、わが国は、軍国主義の台頭を許し…」としました。久保亘書記長(当時)は「近代史のうえでは、列強といわれる国々の植民地支配、侵略的行為は無数にあったことは歴史の事実だ」とのべました。
こうした議論が、日本の侵略戦争と植民地支配を世界の「一般的風潮」にしたうえで、先の大戦で侵略戦争を起こしたファシズム陣営と反ファシズム陣営を同列におく「どっちもどっち」論にたっていることは明白です。五十年決議はこの土台のうえにつくられた、日本免罪論にほかなりません。
与党が当初提示した六十年決議案は、五十年決議について触れていませんでしたが、民主党の要求で文言が入りました。
六十年決議は、日本の侵略や植民地支配について、まがりなりにも「反省」を示してきた日本政府の公式見解に反し、侵略戦争を合理化するものです。(遠)