2005年7月26日(火)「しんぶん赤旗」

主張

ポツダム宣言60年

「国体護持」と「安保堅持」


 第二次世界大戦は、日本の天皇制政府のポツダム宣言受諾によって終結しました。

 六十年前の今日―一九四五年七月二十六日に発表されたポツダム宣言は、日本に何を求めたのか。どのように具体化され、現在の日本とどうつながっているのか。こうした問題は、日本の戦後六十年とこれからを考えるうえで、大事な論点です。

■軍国主義除去と民主化

 ポツダム宣言は、米英中三国が日本政府に降伏を求めた共同宣言で、次のような条件を示していました。

 「日本国国民を欺瞞し之をして世界征服の挙に出づるの過誤を犯さしめたる者の権力及勢力」を「永久に除去」する。侵略した領土の放棄、日本軍の武装解除と戦争犯罪人の処罰、民主主義の復活・強化をはばむ障害の除去、言論・宗教・思想の自由と基本的人権の確立、再軍備を可能とする産業の制限。これらの目的が達成され、「平和的傾向を有し且責任ある政府が樹立」された場合に「占領軍は直に日本国より撤収」することも明記していました。

 日本政府は、当初、「国体護持」(天皇を絶対的権力者とする反民主主義国家体制の維持)が確実ではないとして「無視」する態度をとりました。しかし、広島・長崎への原爆投下、天皇制政府が連合国側との和平交渉の仲介を依頼していたソ連の対日参戦という流れのなかで、ポツダム宣言を受諾するにいたりました。

 軍国主義の除去と民主主義の確立を基本的な内容としたポツダム宣言を実行することは、日本の国際公約となりました。ポツダム宣言の内容は、日本共産党が戦前から主張してきた専制政治の打破、民主主義と自由の確立と一致するものでした。

 ポツダム宣言の積極的内容は、日本国憲法の平和・民主原則として具体化されています。主権在民、戦争放棄と戦力不保持・交戦権否認、基本的人権、議会制民主主義、地方自治などの条項は、平和で民主的な日本への進路を切り開きました。

 日本国憲法が、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言」(前文)したのは、ポツダム宣言が、「世界征服の挙に出づるの過誤を犯さしめたる者の権力」を「除去」するとのべたことと通じる立場です。

 「国体護持」勢力は、終戦と同時に消えたわけではなく、戦後間もなくの内閣も、後に自民党に合流した諸党も、「国体護持」の立場で活動しました。現憲法を制定する際には、天皇主権の明治憲法の焼き直し程度のものにとどめようとしました。しかし、そうした策動は破たんし、平和・民主原則を明確にした日本国憲法が制定されました。中身抜きに「占領軍による押し付け」だと憲法を批判する議論は、「国体護持」勢力の恨みに端を発したものです。

■安保こそ米の押し付け

 ポツダム宣言が全面的に実施されていれば、占領軍は日本から引き揚げていたはずでした。しかし現実は、戦後六十年たっても、米軍が居座わっています。

 米軍は、占領軍の中心となり、戦後直後こそ、民主化を進めたものの、その後、アメリカの世界支配戦略に日本を組み込み、日本を事実上の従属国としてきました。日米安保条約こそ、アメリカによる「押し付け」の最たるものです。

 「安保体制堅持」を、「国体護持」のように叫ぶのではなく、そこからの脱却こそ、日本の真の独立と平和、民主主義の道です。


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