2005年7月17日(日)「しんぶん赤旗」
アスベストが夫を奪った
「被害根絶を」妻が訴え
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「夫は中皮腫で苦しんで亡くなった。患者が増えるニュースには胸が詰まります」。アスベストが原因で夫を亡くした神奈川県横須賀市の斉藤ちか子さん(58)が、十六日に横浜市で開かれた第五回労働安全衛生活動者会議(主催・神奈川県建設労働組合連合会)で、アスベスト被害の根絶を訴えました。
胸膜悪性中皮腫と診断された夫の勝生さんは、二〇〇三年九月二十七日に、若い時に吸い込んだアスベストで命を落としました。六十五歳でした。
■3カ所目で
ちか子さんは「夫は脇腹のあたりが痛むといって、訪ねた三カ所目の呼吸器センターで、それまで聞いたこともない中皮腫という病名を知らされた」。神奈川土建の組合に診断書を持っていったら大変な病気だと教えられたといいます。
「しばぞの診療所の海老原勇先生を紹介してもらい、検査にいきました。レントゲン写真で夫の片方の肺の異常に驚きを感じたことを今も鮮明に覚えています」とちか子さん。「病名を告げられたときは地獄の底に突然落とされた感じでした。痛みを抑える薬を飲み、病とたたかっている夫の姿を見ているだけの日々。中皮腫と診断されて一年一カ月で亡くなりました」
■原因を調べ
ちか子さんは亡くなった夫にかわって国の労災認定をとるために、立ち上がりました。「中皮腫になった原因を調べるため、若いころ働いていた川崎製鉄に組合の人たちといっしょにいき、仕事の内容やむずかしい交渉をしました」
会議では、宮田恵造神奈川土建横須賀三浦支部書記が労働状況や労災認定をかちとった経過を報告。「斉藤勝生さんは一九六六年から四年間、銑鉄の温度や溶鉱炉からでるガスの測定をおこなった。耐火のためアスベスト製品を扱い、計測室の粉じん量はものすごかった。舞い上がったアスベストが工場に差し込んだ太陽光でキラキラと光っていたと、現場の状況を知る退職者が話していた。二〇〇三年に労災認定が従事期間五年が一年に短縮され、ことし三月三十日にやっと認定された」と報告。被害者の迅速な救済を訴えました。
ちか子さんは「神奈川土建に入っていたことで、ものごとを知る機会になった。中皮腫の苦しみを目の当たりにして、遺族として、これ以上患者がでないことを祈ります」と訴えました。
この日の会議には建設関係労働者や医療関係者ら約百五十人が参加。アスベストによる健康被害について、しばぞの診療所の海老原医師が講演し、中皮腫だけでなく肺がん被害も多いとして、健康診断による病気の早期発見と救済の重要性を指摘しました。