2005年7月10日(日)「しんぶん赤旗」
私も吸っていた
「夫の死因はアスベスト」
旭硝子に償わせたい
建材メーカーなどのアスベスト(石綿)による工場労働者の深刻な健康被害が相次いで明らかになっています。千葉県船橋市の渡辺アキ子さん(64)の夫・信義さんもその一人。十三年前に「肺がん」で亡くなりました。享年五十二歳。アキ子さんはいいます。「早死にするような人じゃなかった。夫の死はアスベストが原因。夫の死を無駄にしたくない」――。
■13年前に夫を亡くした 渡辺アキ子さんの思い
信義さんが勤めていたのは、ブラウン管を製造していた船橋市の旭硝子旧船橋工場(二〇〇三年末閉鎖)。ガラスの原料を窯に入れ、千六百度の熱で水あめ状に溶かす工程を担当していました。アスベストは高熱に強く製品に傷がつきにくいため、作業用の手袋やベルトコンベヤー、ゴムホース、配管など、いたるところで使われていました。まともな換気装置のなかった作業場には、たえずアスベストの混ざった粉じんが舞っていたといいます。
信義さんと同じ工場で働いていた古川嘉廣さん(67)=千葉・松戸市=は工場のようすをこう語ります。
「窯の周辺は特に、目に見える大きさのものを含めた粉じんが舞い、先が見えないほどだった。光に当たるとチカチカ、ピカピカしていた。防じんマスクも無く、口や鼻のあたりをタオルで巻くだけだった」
古川さんは、アスベストが原因の職業病(じん肺、続発性気管支炎)と認められ、労災認定を受け現在、治療中です。
信義さんが体調不良を訴えて病院の診察を受けたのは一九九二年。
「腰が痛い。ガンガンする。目の奥もズキンズキンする」
胸部レントゲンとCT(コンピューター断層撮影装置)で「肺がん」と診断されました。亡くなったのは入院後、わずか二週間でした。
夫の死後の〇二年、アキ子さんはアスベスト労災認定と損害賠償請求訴訟を起こしました。労災認定では千葉地裁に続いて東京高裁でも却下されました。損害賠償では千葉地裁は六月中旬、裁判長が双方に和解を呼びかけ今月二十一日にも和解の交渉に入る予定です。
裁判では、会社が一九五六年の操業以来、四十七年間、アスベスト粉じんは吸い込むと有害物質と知っていながら使用していたことが判明。しかし、従業員には危険性を知らせず、防じんマスクも着用させずに作業をさせていました。
旭硝子は現在、アスベストの疑い例として子会社も含め二人が死亡したと報道されています。「旭硝子労災認定を勝ちとる会」やアキ子さんの調べでは違う実態が浮かんできます。「旧工場で労災認定され、現在療養中の患者が四人。死亡後、労災認定を受けたケースが一人。これまでに十二人がアスベストが原因とみられる肺がんで死亡している」と指摘します。
アキ子さんも夫と結婚するまでの四年間、同工場に勤めており、「私も(アスベストを)吸っている…」と不安がつのります。
「絶対に旭硝子にも償わせ、謝ってもらいたい。悔いの残らないかたちで区切りをつけたい」
アキ子さんは静かに語ります。