2005年7月9日(土)「しんぶん赤旗」
九条二項に「自衛軍」、前文に「天皇」を明記
「戦争する国家」をめざす自民党改憲案
上田耕一郎
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自民党の新憲法起草委員会(委員長・森喜朗前首相)は七日、十一月の結党五十周年大会で公表する「新憲法」草案のたたき台となる改憲要綱案を発表した。四月に十の小委員会が集約した要綱のなかで両論併記となった問題などを、首相経験者や有識者らの諮問会議で整理したものである。起草委は七月から十月にかけて札幌を手始めに全国十カ所で党員らを対象にタウンミーティングを開き、九月から条文化作業をすすめるという。
■民主党との協議重視と自民党らしさと
これまでの小委員会の議論では、新憲法草案にできるだけ自民党らしさを出すべきだとする中曽根元首相らの意見と、発議に必要な三分の二確保を重視して民主党や公明党との一致に留意すべきだとする意見との間に若干の路線対立が生まれていた。「保守派」と「現実派」、「復古派」と「協調派」と名付けた記事もあった。
しかし小委員会要綱の時から「前文作成の指針」の(1)には、「自由民主党の主義主張を堂々と述べながら、広く国民の共感を得る内容とする」と書かれてあった。今回の要綱案は、両派の妥協の産物としての二面性をはらみながらも、公・民両党との協議を重視し、合意が得にくい項目は削りおとされている。
たとえば天皇については、中曽根氏の「強い意向で」(「東京」五日付)、前文に「我々は国民統合の象徴たる天皇と共に歴史を刻んできた」というとんでもない反歴史的言及が入ったが、「国民主権の原理」に反する「元首化」明記は見送られた。集団的自衛権は「行使を容認するものの、『自衛』に含まれる概念として憲法には書き込まない」(「産経」七日付)、「非常事態規定は『保守色が強すぎる』との慎重論を踏まえ見送った」(前掲「東京」)。いずれも協議を考慮した結果であろう。
■前文と九条の改悪は「自衛軍」=「外征軍」の憲法認知へ
しかし「路線対立」なるものは表面的なものにすぎず、改憲策動の核心である九条改悪にかんしては、要綱案はむきだしの「戦争する国家」をめざすものとなった。
その核心とは、世界に誇る平和条項としての九条を根本的に改悪して、アメリカのいいなりに地球規模で参戦できる反動的国家づくりにあることを、われわれは強調しつづけてきた。自民党起草委員会の要綱案は、「前文」と「九条」の二つの改悪案の決定によって、われわれの警告がきわめて的確だったことを証明している。
「1、前文作成の指針」の(2)には「現代および未来の国際社会における日本の国家目標を高く掲げる」とされ、「2、前文に盛り込むべき要素」の(3)に、その「国家目標」なるものが、次のように定式化されている。
「外に向けては、国際協調を旨とし、積極的に世界の平和と諸国民の幸福に貢献する。地球上いずこにおいても圧政や人権侵害を排除するため不断の努力を怠らない」
憲法前文で、全地球規模での「圧政や人権侵害」「排除」のための「積極」性と「不断の努力」を誓おうというこの文章が見習ったのは、「自由」を表す「フリーダム」「リバティー」という単語を三十六回使って圧政に終止符を打つとしたブッシュ大統領の二期目の就任演説だろう。
この前文を九条改悪案が受け、「1、積極的に国際社会の平和に向けて努力するという主旨を明記」し、九条二項の戦力不保持と交戦権否認を削除して次の内容に置き換える。
「2、自衛のために自衛軍を保持する。
自衛軍は、国際の平和と安定に寄与することができる」
「司法」の項では、この「改正に伴い」、「軍事裁判所」の設置が明文化された。
「解釈改憲」を強行して憲法違反の自衛隊を巨大化し、日米軍事同盟をとめどなく拡大強化してきたにもかかわらず、九条が「歯止め」となって、(1)海外派兵による武力行使(2)集団的自衛権の行使(3)国連の武力行使参加は憲法上できない(五月三日の志位委員長演説で指摘した工藤内閣法制局長官の九〇年十月二十四日答弁)ままである。その「歯止め」外しが改憲派共同の絶対目標である。三項目を実行できるようになれば、自衛隊は「米軍に奉仕する“他衛隊”」(小林直樹「改憲論の虚妄を撃つ」―『軍縮問題資料』七月号)、あるいは「外征軍」(三輪隆「軍事部門の改憲要求」―法律時報・臨時増刊『憲法改正問題』)に変質・転換する。九条二項で「自衛隊」を認知したとたんにこの転換が浮上する。「自衛軍」となれば転換は完ぺき以上となり、日本は「外征軍」を憲法で認知した「普通の国」に転落する。大喜びするのは改憲策動の元凶、アメリカと日本の財界である。
■「立憲主義」の否定と「国民統制」志向
前文は恐るべきものになりそうである。「2、前文に盛り込むべき要素」の「(4)結語」は、「明治憲法(大日本帝国憲法)、昭和憲法(現行日本国憲法)の歴史的意義を踏まえ」と二つの憲法の扱いが、なんと同格である。明治憲法論を展開する紙幅はないので、長谷川正安氏の「絶対王制」論を引用しておこう。
「天皇の軍事大権の行使について、憲法上一切の制約がないということは、大日本帝国が立憲君主制ではなく、絶対王制であり、そこには近代的意味での憲法はもちろん、いかなる意味でも憲法は存在していないことを示している」(『憲法とはなにか』、新日本新書、百三ページ)
三中総の幹部会報告は、自民党・小委員会要綱の人権と民主主義の条項について、「その底流には、国民が憲法によって国家権力を規制するという近代の立憲主義を否定する思想が流れています」と指摘していた。今回の要綱案も、その反動性にはなんの改善もない。
ただ、「国防の責務」から「社会的費用を負担する責務」まで要求し、「表現の自由」、「結社の自由」の制限にも触れた小委員会要綱のままでは協議不能となるのを配慮してか、「国民の権利及び義務」の個所は具体的叙述を省き、「権利には義務が伴い、自由には責任が伴う」と抽象化してある。しかしその内容はいっそう危険なもので、「公共の福祉」の概念は「曖昧(あいまい)」なため、「個人の権利を相互に調整する概念として、または生活共同体として、国家の安全と社会秩序を維持する概念」として「明確に記述する」という。自由と権利の敵視に根ざす立憲主義の否定と国民統制の志向は、それこそ「明確」である。
憲法改正の発議要件は、現行の三分の二以上の賛成を「過半数」に改悪してある。
■二大政党の「共同起草」で改憲へ
重要なことは、自民党のこうした改憲作業の進展にあわせて、自民党と民主党の二大政党のあいだで改憲にむけた反国民的な共同が進展していることである。「東京」六月二十二日付に自民党の与謝野馨政調会長、公明党の太田昭宏幹事長代行、民主党の枝野幸男党憲法調査会長の「自・公・民キーマン座談会」が掲載された。前書きに「今後の改憲に向けた道筋が透けて見えた」と書かれるほど、正直な吐露のやりとりが続く。
なかでも注視したい発言は、枝野氏が「三分の二条項がある以上、一党単独での改正は簡単ではない。政党間の合意に基づいて共同起草する形でないと、改憲などできるはずがない」とのべ、その発言を受けて与謝野氏が「共同で起草しようという段階に進んだら、自民党がつくった案は参考資料の一つになってしまうと思う」と応じたことである。第二は、与謝野氏が「自民党は今草案をまとめるために、議論している。前文から終わりまで…。ただ、実際に変えるところは、たくさんはないと思う」とのべたこと、第三は、枝野氏が変えるべき問題点として、プライバシー権と地方自治を強調した点である。
この「キーマン座談会」から「透けて見えた」担当者たちの展望は、十一月に自民党の草案が発表され、翌〇六年に民主党の草案が出る。この二つは「参考資料」にとどめ、「キー政党」の自・公・民三党の間で憲法改正発議案を「共同起草」するための委員会あるいは協議機関がつくられる。そして憲法全文の改定案ではなく、複数の条項の共同発議案(おそらくは、前文、九条、権利、地方自治、改正要件など)の作成に進むというプロセスである。このなかで最も難航するのは前文の改定かもしれない。
三中総は、改憲勢力が「こえるべき関門」として、「自民党、民主党、公明党の党内での意見のとりまとめ、国会での三分の二以上をえての改憲案発議のための国会内の改憲推進政党間での合意形成、さらに国民投票によって過半数の賛成をえること」の三つをあげた。その関門にかれらは突入しつつあるが、その際かれらがぶつかる最大の矛盾は、三中総が指摘した「国民との矛盾」である。地域、職場、各分野での「九条の会」の数はすでに二千を超えたという。主戦場はまさに国会の外の国民自身の組織と運動の真剣な対決となりつつある。三中総が提起した「国民多数派の獲得」が、いよいよ緊急の中心課題となってきている。
(日本共産党憲法改悪反対闘争本部長)