2005年7月7日(木)「しんぶん赤旗」
「中国へ帰れというのか」
「残留孤児」の賠償請求棄却
原告“勝利までたたかう”
大阪地裁
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「私たちも日本人として人間らしく生きたい」と「中国残留日本人孤児」の約八割、二千六十三人が全国十五地裁で一人あたり三千三百万円の国家賠償を求めた裁判の初判決が六日、大阪地裁(大鷹一郎裁判長)であり、同裁判長は原告の請求を棄却しました。原告は「これからも命をかけてたたかう」と控訴する方針で、同日、原告団全国連絡会が政府や日本共産党など各政党に支援を訴えました。
今回の判決対象は大阪訴訟の原告総数百四十四人のうちの三十二人(一人死亡)。
原告は、政府が戦後早期に「孤児」たちを帰還させなかったのは国の「早期帰国義務」違反であり、帰国後の生活でも国には「自立支援義務」がある、と主張しました。
判決は、原告が戦後、中国東北部(旧満州)に取り残され、肉親と死・離別して「孤児」となり、精神的苦痛を受けたことなどを認定。帰国が遅れれば困難が増すことは「予見」でき、国は「早期帰国を実現させる施策を立案・実行すべき条理上の義務を負っている」としました。しかし、日中国交正常化前は困難だったなどとし、国の義務違反を認めませんでした。国が戦時死亡宣告制度を導入し、「孤児」を死者扱いするなどして、帰国が妨げられたとの原告の主張についても、「違法・不当な目的を含むものとはいえない」と退けました。
また、自立支援義務違反についても、「戦争損害は国民のひとしく受忍しなければならないもの」として、原告に被害の「受忍」を迫り、国の責任を認めませんでした。判決は「孤児の多くが生活保護を受けている実態は看過できない」としながら「特別法を制定するかどうか立法府の裁量事項」と国の主張を追認しました。
松田利男団長(68)は、「裁判官に裏切られた思い。きょうは負けたが、これから真の勝利に向け全国二千人以上の原告と社会的支援を受けて、団結して最後までたたかう」と訴えました。
■温かい施策国は今すぐ
「中国へ帰れというのか」。原告の一人、清水宏夫さん(68)は、判決後の記者会見で悔しくて怒りでいっぱいの思いをたどたどしい日本語でそう語りました。
判決は、原告の被害事実を不十分ながら認めたものの、「祖国で人間らしく生きる権利」を求めた原告の訴えを棄却したのです。
一九四五年までに三十二万人余りの国民を中国東北部(旧満州)に開拓民として送り出したのは国。敗戦が色濃くなった一九四五年八月、日本軍は軍人の避難を優先し、開拓民を置き去りにして撤退して、中国「残留日本人孤児」が生まれました。その苦難は計り知れないものでした。
親は集団自決、栄養失調、伝染病などで死亡。中国人に引き取られました。日本の侵略戦争の責任を一身に負うこととなり、迫害されました。
そんな境遇の中で「祖国を慕って」日本に帰国したものの、日本語を習得する機会もなく、仕事に就くことができませんでした。高齢化が進む中で約六割が生活保護を余儀なくされました。
敗戦時に国に捨てられ、その後も帰国政策放棄によって捨てられ、帰国後も冷たい政策によって捨てられた「孤児」たち。判決はその現状を「看過できない」と指摘しました。国の温かい施策こそいますぐ求められています。(菅野尚夫)