2005年5月26日(木)「しんぶん赤旗」
脱線事故から1カ月
ただ安らかに
犠牲者の分まで生きる
JRは命の重さ気付け
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「もう二度と繰り返さないで」。JR福知山線脱線事故から二十五日で丸一カ月。兵庫県尼崎市の事故現場にはいえぬ悲しみを胸に献花に訪れる人が絶え間なく続きました。
■遺族・乗客
就職が内定していた会社への所要時間を確認するために乗った電車で事故に巻き込まれ、死亡した伊丹市の大前貴隆さん(33)。父親の清人さん(63)は、午前十時ごろ事故現場を訪れて献花しました。
清人さんは「家内は現場に着くと泣いていました。ただ安らかに眠ってほしいと願うだけです」と言葉少なに語りました。
「三両目に乗っていて奇跡的に助かりました」と話すのは宝塚市の女性会社員(30)。「一両目に乗っていた知り合いの兄は亡くなりました。私は周りの人から助けていただいて生きています。亡くなった人の分まで生きなければと思い、事故後、初めてきました。ここに立っているだけで胸が苦しい」と話して現場を立ち去りました。
■救助の市民
午前八時すぎから法要を行い、従業員九人とともに献花したのは、事故現場のそばで自動車修理工場を経営する楠元きみゑさん(62)。「これで区切りにしたい」と手を合わせたと言います。
当日、工場敷地は救護所になりました。
「たくさんの遺体が運ばれてきました。妊婦の女性も救護しました。座布団を用意し、ひざ掛けを貸してあげました。ケガをした人にはタオルで流れる血をとめ、水を飲ませました。叫んでいる人もいました。遺族の方が訪ねてきてお礼を言って帰られましたが、JRは人命を預かっていることを自覚してほしい」と話します。
「娘が死んだというより、娘の分まで生きていかなければ」と話すのは、薬師学さん(67)。二十四歳の娘は、三歳になる双子の子どもを残しました。
「倒産し、人に隠れて暮らす日ですが、今日は現場に行こうと決意してきた」という薬師さん。「私は教員をしていたこともあるので、孫は教員の仕事をやってくれれば…。そんな夢を見ながら生きていきます。聞いてくれてありがとう。胸のつかえがすっととれました」と涙ぐみました。
■手紙を渡す
大阪市の下久多江子さん(42)は「百七人の命が眠っているこの場所に電車を走らせないで下さい。走らせるなら少しずらして下さい」と書いた手紙を渡しました。
「安全な社会であってほしい。子どもを亡くした親の気持ちを考えると私には背負い込めません。二度と起こさないでほしい」
「まだ実感ない」同志社大で祈り
JR脱線事故で学生三人が死亡した同志社大は二十五日午前、京都市と京都府京田辺市のキャンパスで、事故一カ月の節目の祈とう会を開き、学生らが亡き友に祈りをささげました。
三人が通っていた京田辺キャンパスでの祈とう会には約八十人が参加。亡くなった榊原怜子さん(18)と同じ社会学部メディア学科一年生の女子学生(19)は「まだ実感がない。友達になって三週間もたっていなかったので、何がなんだか分からないうちに一カ月がたちました。まだ眠れない日もあります」。
大学側は事故後、カウンセリングや負傷学生のサポート体制も整えました。電車通学をやめて下宿を希望する学生も五人おり、物件紹介などの支援を決めました。
同大キリスト教文化センターの越川弘英助教授は「学生たちは落ち着きを取り戻しつつあるが、回復の度合いに差が出てきた。心の傷を処理しきれるかどうかが今後の問題」と話しています。