2005年5月25日(水)「しんぶん赤旗」
JR事故きょう1カ月
死者百七人を出したJR福知山線の脱線事故から二十五日で一カ月になります。兵庫県尼崎市の事故現場には二十四日も犠牲者の関係者や遺族たちが絶え間なく訪れました。
警察の集計(十九日)ではなお百三十九人が入院し、うち六人は重体。負傷者は五百四十九人に増えました。事故原因の調査が続いていますが、過酷ダイヤや新型の自動列車停止装置(ATS)未設置、乗務員いじめの「日勤教育」などJR西日本の営利優先の体質と、安全の規制緩和をすすめてきた政府の責任追及は今後の大きな課題です。
遺族の心つなぐ
藤崎光子さんの決断
「ならくの底に突き落とされた」「でも、踏み出さなければ」――。一人娘の中村道子さん(40)=兵庫県川西市=をJR福知山線の脱線事故で亡くした大阪市の藤崎光子さん(65)は、いま新たな決意で、歩み始めています。
会社を手放す
道子さんと二人三脚で経営してきた印刷会社を手放すことを決めました。
「しがない印刷会社ですが、娘と全精力をかけて経営してきました。終電間際まで仕事をして帰宅したこともしばしばでした」と藤崎さん。
「今も道子がいるものと思い、『あれやって』『これやって』と声をかけてしまう」といいます。今でも娘の死を心は受け入れることができません。
「私自身がこの世に生存しているのかさえ分からないほど精神的に混乱しています。悲しみを共有できるならば」と遺族との連携を呼びかけました。四十人を超える犠牲者の遺族から連絡がありました。そして「片手間にはできない」と痛感、新たな決断をしたのです。
告別式で藤崎さんは残された人生を「安全確保よりも企業利益を優先したJRの責任追及のために尽くしたい」と亡き娘に誓いました。最後のお別れに来てくれた親しい人たちにも「娘の顔を見せることもできなかった」というほどの無惨な死。「JRに虐殺された」と強く心に刻み込みました。
「一人の力では何にもできません。一緒に助け合っていきたい」。ほかの遺族との連携を模索する訴えはマスコミでも取り上げられました。みずから事故現場の献花台近くに出かけて、訪れた遺族らに「遺族の方へ」と連携を訴えた手紙を手渡しました。
反響は海外からも届きました。遺族や事故の犠牲にあった関係者たち四十四人との対話が広がりました。
亡くなった人百七人。遺族の思いは百七様に深く重い。「絆(きずな)を強めることが今一番大切なこと」と感じました。
「結婚したばかりの相手を亡くした人。結婚を間近にして相手を失った人。独りぼっちになった遺族はたくさんいます。みんながならくに突き落とされました」と藤崎さん。「気が付くと一時間も語り合っていました。そして電話を切るときになって『聞いてくれてありがとう』と言われました。喜んでもらえている。この輪をもっともっと広げたい」
安全な鉄道に
JR西日本の最高責任者の責任は問われない。運転手や乗り合わせた社員だけの責任で終わってしまうのではないか。効率と利益重視の民営化と規制緩和を促進してきた国の責任はないのか…。
「私はもっと勉強しないといけない」。藤崎さんは、この一カ月の動きにそんな危機感を持っています。
「私も安全な鉄道に乗りたいのです。お手伝いさせてください」という声も寄せられました。「ネットワークづくりを呼びかけて良かった」。藤崎さんはそんな思いを強めています。(菅野尚夫)