2005年5月23日(月)「しんぶん赤旗」

JR福知山線快速

「余裕時分ゼロ」3割

停車駅増で過酷ダイヤ

遅れ回復不能


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JR福知山線宝塚―尼崎間の、98年10月当時最速≠ニいわれた快速列車の運転士時刻表(上)と、05年4月現在の最速で、脱線事故を起こした快速列車の同時刻表(下)

 脱線事故を起こしたJR福知山線宝塚―尼崎間で、〇三年の快速停車駅増の結果、その五年前には、最低でも五十五秒程度の余裕時分があった快速列車ダイヤが、全体の約三割にあたる列車で余裕時分ゼロに変わった――。JR西日本が私鉄との競争からそんな過酷なダイヤ変更をしていたことがわかりました。この変更は国鉄の分割民営化後、届け出だけでできるよう規制緩和されています。

民営化後 国は会社任せ

 列車の所要時間は、まず駅間の制限速度などを考えて決める最短の運転時分を「基準運転時分」として設定。これに駅停車時間と乗降などによる遅れを回復するための余裕時分を加えて決めます。

 現在、宝塚―尼崎間の基準運転時分は十五分三十五秒。事故を起こした列車は、余裕時分ゼロできっちりこの時間で走るよう要求されました。

 JR西日本によると現在、平日の上り快速は一日百三本あり、このうち余裕時分ゼロの列車は三十二本も。なかでも事故列車は、伊丹駅の停車時間がわずか十五秒と、他の三十一本よりもさらに五秒短い最速列車でした。

 しかし、JR西の運転士の証言によると、一九九八年十月には、同じ区間で、現在と同じ207系車両を使い、最速の上り快速でも余裕時分が最低でも五十五秒は設定され、余裕時分ゼロの列車はなかったといいます。

 それが大きく変わったのは、二〇〇三年十二月のダイヤ改正時。私鉄との競争に勝つため、新たに中山寺駅に快速列車を停車させました。これで宝塚―尼崎間の基準運転時分は五十秒増えました。しかし、余裕時分をゼロにしてダイヤ上は、ぎりぎりにまで増加秒数を減らす列車が急増することになりました。

 ある運転士は「事故が起きた午前九時すぎは大学生や営業職の通勤客も多く、余裕時分なし、伊丹駅で停車時間十五秒というダイヤで走るのはもともと無理」と指摘。「制限速度ぎりぎりまで出して走っても駅での乗降に手間取ったときは遅れが出る。余裕時分ゼロで走る三十二本の列車では回復運転は不可能だったのにそれを運転士に求めてきた会社の責任は重大だ」と話しています。

 ダイヤ編成は、国鉄時代は労使が交渉し、運輸大臣が認可した大きな問題。民営化後は鉄道事業法で届け出制になり、事実上、国のチェックなしで会社まかせになってきました。


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