2005年5月16日(月)「しんぶん赤旗」
基地包む人間の鎖
みんなの思いつながった
基地はどこでも危険
沖縄
「普天間基地の早期全面返還を」―。沖縄が本土に復帰してから三十三年目となる十五日、沖縄県宜野湾市に集まった二万三千八百五十人の思いが一つにつながり、米海兵隊・普天間基地を人間の鎖が包囲しました。(佐藤高志)
包囲行動に向けて普天間基地周辺に続々と集まった市民の手には「沖縄の基地はアメリカに持ちかえれ」「戦争はイヤ 平和が一番」などと書かれた色とりどりのプラカード。その一つひとつに市民の熱い思いが込められています。
午後二時十五分。周囲十一・五キロメートルにおよぶ普天間基地を取り囲む人間の鎖がつながると、手を取り合った人々からは自然と歓声があがり、高らかに上げた両手が波打ちました。
「やった。つながった」「市民の思いを受けとめて」「平和な沖縄を返せ!」。基地に向かって参加者の声が何度も響き渡りました。
“私たちの土地”
一九九五年から始まった普天間包囲行動は今回で四回目です。少女暴行事件をきっかけにした県民の基地返還要求が強まるなか、日米両政府は九六年、普天間基地を「五年ないし七年以内」に全面返還することを合意しました。
しかし、合意から九年たった現在でもなお、宜野湾市には基地が居座り続けています。昨年八月には沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落する事故が起こり、住民の生活を脅かす基地の危険がいっそう浮き彫りになりました。
宜野湾市に住む大屋幸子さん(60)は「いつ落ちるかわからない米軍機の真下で暮らす恐怖が分かりますか?」と訴えます。住宅地の真ん中にある普天間基地の周辺には、基地にへばりつくように小中学校が密集しています。
「基地のある土地は、自然豊かな私たち県民の土地だった。私たちの土地を一日も早く返してほしい」。大屋さんは力をこめて語ります。
「イラクから米軍のヘリが帰ってきて、以前より騒音がひどくなった」というのは中山和子さん(65)=宜野湾市=。包囲行動には初めての参加ですが、「みんなの気持ちと一つになれた気がして胸が熱くなった」と言葉をかみしめました。
無条件返還の声
沖縄では今、基地撤去を求める県民世論にも、うねりのように大きな変化が起こっています。
県内移設を条件とした基地返還には九割を超える県民が反対の声をあげています。新たな基地強化に反対する運動は名護市、金武町、伊良部町、伊江島など全県に広がっています。
普天間基地の代替地として新基地建設が予定されている名護市辺野古で反対運動をつづける「ヘリ基地反対協議会」の安次富(あしとみ)浩さんは包囲後の県民大会で、「新しい基地をつくることはアジアの人々を殺す手助けをすることになる。県内、県外から多くの支援をいただいているが、さらに支援の輪を広げて欲しい」と力強く訴えました。
「辺野古への代替基地建設が言われていますが、基地はどこにつくっても危険」というのは糸満市から参加した川崎善美さん(57)。「県民の気持ちとして、基地は無条件に撤去してもらいたい」と思いを語ります。
豊見城市から参加した九十一歳の運天千代さんは、辺野古まで行って新基地建設の反対運動に加わったこともあるといいます。
「沖縄戦では、みんな家族が殺され苦労した。孫たちを守るためにも人殺しの基地はなくなってほしいんです」と思いを語っていました。