2005年5月16日(月)「しんぶん赤旗」
沖縄・宜野湾市での県民大会
志位委員長のあいさつ
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日本共産党の志位和夫委員長が十五日、沖縄県宜野湾市で開かれた「普天間基地撤去・基地の県内移設に反対する県民大会」でおこなったあいさつは次のとおりです。
県民大会にお集まりのみなさん、こんにちは。(「こんにちは」の声)私も、「人間の鎖」に参加し、「基地のない沖縄」を願う県民のみなさんの熱い思いをひしひしと感じました。日本共産党を代表して、心からの連帯のあいさつをいたします。(拍手)
米軍の横暴勝手の数々――もうこれ以上我慢できない
昨年八月のヘリ墜落事故は、県民の平穏な暮らしと米軍基地は、絶対に共存できないことを示しました(拍手)。ところが、その後も、米軍は反省するどころか、その横暴勝手は目にあまるものがあります。私は、四点だけあげたいと思います。
第一に、宜野湾市議会が全会一致で可決した「ヘリ部隊の帰還中止決議」を無視し、四月一日、イラクに派兵されていた海兵隊のヘリ二十二機が、帰還を強行したことです。許しがたいことに、海兵隊報道部は、「英雄として歓迎してほしい」とニュースを流しました。ファルージャで女性や子どもたちを殺した血塗られた部隊を「歓迎せよ」とは、県民を愚弄(ぐろう)するにもほどがあるといわなければなりません。(拍手)
第二に、日米合同委員会は、事故の再発防止策として、日米両国に飛行ルートを見直すことを求めました。しかし、見直しの結論が何も出ていないのに、米軍は飛行・訓練を再開し、住宅地の上での旋回訓練まで実施しました。みなさんの命より訓練が大事だという人たちに居座られてはたまらない――これがみなさんの気持ちではないでしょうか。(拍手)
第三に、さらに五月に入って、墜落炎上したヘリと同じ型のヘリ三機を、普天間基地に追加配備するという、暴挙を強行しました。
第四に、(地元紙の)「沖縄タイムス」の質問に、米軍は「(イラク派兵は)通常の(部隊配備)ローテーションの一環だった」と回答しました。沖縄の海兵隊が、中東を日常的な作戦範囲とする文字どおりのグローバルな殴り込み部隊であることを、開きなおって認めたのです。
普天間基地の閉鎖・撤去はもはや一刻も先のばしにはできない(拍手)。もうこれ以上我慢できない――“ニジティ・ニジララン”(どよめき、拍手)が、沖縄県民の気持ちではないでしょうか。(大きな拍手)
基地のたらい回しではなく、無条件の撤去を
九六年のSACO(沖縄に関する日米特別行動委員会)合意から九年がたち、普天間基地を五年ないし七年で返還するという期限はとうに過ぎました。この九年間が明らかにしたことは、SACO路線――基地のたらい回し路線では、永久に問題は解決しないということであります。(拍手)
辺野古沖への「移設」であれ、嘉手納や下地島などへの「分散移転」であれ、基地の苦しみはどこに移しても同じです(拍手)。新しい基地をつくることは、はるか未来まで基地を固定化、永久化することになります。基地のたらい回しではなく、無条件の撤去を――これこそ沖縄県民の総意です(拍手)。ここでかたく団結して、日米両政府を動かすところまでたたかいを前進させようではありませんか。(大きな拍手)
今日、五月十五日は、沖縄が本土に復帰して三十三年目の記念すべき日です。県民のみなさんがもとめた祖国復帰とは、「核も基地もない平和で豊かな沖縄県の回復」でした。「戦争につながる一切のものを拒否する」――この「沖縄の心」に、私たちもかたく団結し、たたかいぬく決意をもうしあげ、あいさつとします。(大きな拍手)