2005年5月13日(金)「しんぶん赤旗」
日本外交のゆきづまりをどう打開するか
戦争終結60周年・アジア諸国との最近の関係をめぐって
時局報告会 不破 哲三議長の講演
日本共産党の不破哲三議長は十二日の時局報告会で、「日本外交のゆきづまりをどう打開するか」と題し、アジア諸国との最近の関係で噴き出した日本外交のゆきづまりの根源をなす過去の戦争の問題について、日本国民として何が問題かをとらえなおすことを提起、同時に、三点にわたる打開策を提案しました。
問題の提起――日本外交のゆきづまりの根源はどこに?
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第二次世界大戦六十周年を迎えた世界は、ドイツ、イタリアがヨーロッパで、日本がアジアでおこなった戦争について、いかなる大義もない侵略戦争――不正不義の犯罪的戦争だったという共通の認識に立っています。
これをくつがえそうという流れは、一国をのぞいて世界のどこにもありません。その一国が日本で、日本の戦争の“名誉回復”をはかろうという声が、政治、マスコミ、教育の世界で横行しています。
不破さんは「ここに近隣諸国との矛盾を噴き出させた、日本外交のゆきづまりの一番の大本の原因がある」とのべ、「打開の方途を考えたい」と問題提起しました。
日本の戦争とは何だったのか?
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まず取り上げたのは「日本の戦争が何だったのか」という問題です。
不破さんは「イラク戦争にくらべても、不正不義の度合いがケタ違いにひどい」とのべ、日本の戦争について、次の三点から解説しました。
第一にあげたのは、戦争の目的として、あからさまに他国領土の奪取を掲げていたことです。
当時の日本は、欲しい資源があり、戦略的足場となる地域を「日本の生命線」「生存圏」と呼び、それを最初の「満蒙」(中国の東北地方と内モンゴル地域)から中国の全体へ、さらに最後は「大東亜」=東南アジアからオーストラリア、インドまでに拡大。当時の政府は、この戦争を「自存自衛」と呼びました。「自存自衛」とは、「自衛」ではなく、自分の存立に必要な領土は武力を使っても手に入れるという意味でした。
不破さんは、当時の政府の主張を紹介し、「その目標は、『大東亜』の全部を日本の支配におさめることだった」と指摘しました。
第二に指摘したのは、戦争の手段が、際立った無法さと野蛮さを特徴としていたことです。
中国侵略を始めたときには、みずから鉄道を爆破し、中国側に罪をなすりつけました。軍隊と民間人の区別なしの虐殺、暴行と略奪、強制労働など、蛮行の数々の傷跡は、アジア各地に無数に記録されています。不破さんは「野蛮さは、日本の一般兵士・士官にも及んだ」とのべ、補給無視の無謀な作戦による餓死者が合計百四十万人、戦没者二百三十万人の六割に達する推計もあることを紹介しました。
第三にあげたのは、朝鮮への植民地支配の無法さ、野蛮さが同じ性格をもっていたことです。
朝鮮併合は、朝鮮宮廷を武力で脅して勝ち取ってきた戦略目標でした。併合後の三十五年間は、韓国・朝鮮の人々の民族的な誇りを、武力で踏みにじる残酷な歴史の連続でした。
不破さんは「“悪い面もあったが、良い面もあった”とみるのは、支配された民族の心の痛みを知らない植民地支配者の無法な言い分にすぎない」と告発しました。
日本の戦後政治はこの戦争にどんな立場をとってきたか
日本とドイツの侵略戦争を断罪し、このような戦争を二度と引き起こさない世界をめざす―。これは戦後の世界政治の共通の原点になりました。
日本でも、憲法に「日本国民は、…政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し…」と明記されました。
しかし、日本の現実の政治は、この線に沿って展開されませんでした。
不破さんは「大きな問題は、戦争を推進した政党である政友会・民政党の二大政党の後継者が、戦後も政治を握り続けたことだ」と指摘。戦争犯罪を問われながら、アメリカの占領政策の転換で復活し、閣僚になった政治家として、鳩山内閣の重光葵外相(東条内閣の外相)、岸信介首相(同商工相)、池田内閣の賀屋興宣法相(同蔵相)をあげ、「こんなことは、ヨーロッパでは絶対におこらなかったことだ」とのべました。
国会論戦でのみずからの経験として、歴代の首相のなかで、日本の戦争について「侵略戦争」と認めた首相が一人もあらわれなかったことも紹介しました。
そのなかでも、まとまった形で「過去の一時期」の日本の「国策」を「植民地支配と侵略」の言葉で特徴づけ、反省を表明したのは九五年の村山見解でした。「侵略戦争」の言葉を避けた点で不十分さはありましたが、それでも、この表明までに、戦争終結から五十年もかかりました。
小泉首相は、アジア・アフリカ首脳会議で述べた反省の言葉で、この見解を再確認しました。
「自分の国が過去にやった侵略戦争の事実を、明白に、正直に、きちんと認めることができない政府は、国際政治の上で、正義と不正義を区別する基準を持てない」(不破さん)ことも、日本外交におとしている否定的な影です。それを証明する例として、ヒトラーの戦争とフセイン政権のクウェート侵略についての政府の評価をあげました。
小泉内閣の問題――靖国参拝と教科書問題
「村山見解」から十年。いま日本に問われているのは、その見解が十分か不十分かではなく、“見解を示しながら行動がともなわない”という問題です。
「実際、日本の政治状況は、その発言にさえ逆行して、『あの戦争は正しかった』という日本の戦争の“名誉回復”論が、以前の時期以上に横行し始めた」。そう特徴づけた不破さんは、小泉内閣になっていよいよ強まった靖国神社参拝と「歴史教科書」問題で明らかにしました。
靖国神社の問題
靖国神社は戦争中、戦死者を「神」としてまつることで、国民を戦場に動員する役割を果たした神社です。その神社への参拝を、戦争への「反省」の場とすること自体、道理にあいません。しかも、それに二つの重大問題がくわわってきました。
一つは、一九七八年にA級戦犯を合祀(ごうし)したことです。靖国神社はこの人びとを「日本と戦った連合国の、形ばかりの裁判によって一方的に“戦争犯罪人”という、ぬれぎぬを着せられ、むざんにも生命を断たれた」人とよび、神としてまつっているのです。ここへの首相の参拝は、日本政府が「戦争犯罪」を否定する立場に立つ意味をもたざるをえません。
不破さんは、もう一つの問題として、靖国神社自体が何より「正しい戦争」論の最大の宣伝センターになっていることを指摘しました。この神社は「英霊の顕彰」=「戦争行為」をほめたたえることと、「祖国の汚名」をそそぎ、日本の戦争の本当の意味を明らかにすることを自らの“使命”としています。
そのことを具体的に示しているのが、靖国神社にある「遊就館」の展示と靖国神社の後援でつくられたドキュメント映画です。それらがいかに日清・日露戦争から太平洋戦争にいたる日本の戦争をたたえたものになっているかを詳述した不破さん。映画の宣伝文句も「日本参戦を仕掛けた米国の陰謀、そして日本は隠忍自重しながらついに苦渋の開戦決断へ」などとなっていることを紹介すると、会場がどよめきました。
「この神社は、特定の政治目的をもった運動体だ。その政治目的とは、『日本の戦争は正しかった』という立場を、日本の国民に吹き込むこと。そのよってたつ精神は、ヨーロッパでいえば、ネオ・ナチの精神に匹敵すると思う」とのべた不破さんは、小泉首相の靖国参拝が、戦没者への追悼を「日本の戦争は正しかった」論と結び付けることにならざるをえないと批判しました。
「歴史教科書」問題
「歴史教科書」の問題はどうか。作成した「つくる会」は、日本の過去の戦争を侵略戦争だとする見方を「旧敵国のプロパガンダ」とよび、それをくつがえす教科書をつくることを自分たちの最大の目的にしています。戦争正当化の立場は靖国神社と共通です。そこにのべられている戦争史には、この戦争が日本の「自存自衛」と「アジアの独立」のために避け得なかった戦争だとする“名誉回復”論が脈々と流れています。
――中国にたいする戦争の叙述に「侵略」の言葉が一言も出てこず、逆に日本がおこなった侵略戦争の責任を中国側に転嫁する論理がある。
――朝鮮併合が誤った「国策」に立ったという認識がない。戦後の東南アジア諸国の独立が、あたかも日本の戦争の延長線上で実現したかのように書いている。
――「戦争に対する罪悪感」は占領軍の宣伝の産物だから、捨てろとする。
「検定を通じて、こういう教科書に『合格』のはんこを押す小泉内閣の教育行政が、政府が表明した反省の言葉を裏切るものであることは明白ではないか」と訴えました。
侵略戦争と植民地支配の歴史に正面から向き合おう
自民党政治のこのような態度は、世界に生きる道を日本から失わせる致命的な誤りです。不破さんは「いま、日本の国民の全体がこのことを正面から見つめるべき時だ」と強調しました。
この点で、ドイツのシュレーダー首相が戦後六十周年にあたって新聞に発表した論文で、ドイツ国民が過去の時代と正面から切り結ぶ討論を数十年にわたっておこない、ヒトラー・ドイツの犯罪への責任を胸に刻み込む共通の集団的な意識に到達したことなどをあげていることは教訓的です。
日本共産党の経験
中国との関係で不破さんは、日本共産党が毛沢東派からの干渉とたたかうなかでも日本の侵略戦争を追及し続けた政党であること、九八年の中国の党指導部との間の関係正常化で日中関係の五原則(別項)を提起したこと、さらに最近の中国の日本への抗議デモについても根底に日本の政治の問題があることを指摘しながら、中国側の問題をただちに提起したことを紹介しました。
日中関係の五原則
一、日本は、過去の侵略戦争についてきびしく反省する。
二、日本は、国際関係のなかで「一つの中国」の立場を堅持する。
三、日本と中国は、互いに侵さず、平和共存の関係を守りぬく。
四、日本と中国は、どんな問題も、平和的な話し合いによって解決する。
五、日本と中国は、アジアと世界の平和のために協力し合う。
三つの提案―アジア外交で平和の大戦略を確立するために
最後に不破さんは「自民党政府の現在の態度に根本的な再検討をくわえ、抜本的な転換をはかることを抜きにして、日本の外交的なゆきづまりを打開する道はない」として、三点にわたる具体的な提起をしました。
第一は、靖国神社参拝を、首相の任期中、きっぱりとやめることです。
靖国参拝は個人的な信念だといっても、首相の個人的な間違った信念のために、近隣諸国との友好という日本の国益をくつがえすことは許されません。一般に国政の場にある政治家の靖国参拝は、侵略戦争の肯定の意思表示として国益にそむく意味をもつことを真剣に考えるべきです。
第二は、アジア諸国にたいする「植民地支配と侵略」にたいする反省の態度を、学校の教科書に、誠実かつ真剣に反映させる努力をつくすことです。
教科書は「国定ではない」という議論があるが、首相が表明した見解は、植民地支配と侵略の問題で、日本が負っている歴史的責任とその反省を最低限の言葉で表現したものです。それをのちのちの世代にまで責任をもってひきつぐことは、日本国民が自身の未来のために積極的に果たすべき責務だからです。
第三は、アジア近隣諸国と平和の関係をきずき強化するアジア外交の大戦略をうちたて実行することです。
言葉の上で「アジア重視」をいうだけでなく、あれこれの国を「仮想敵」に見立てたり、「脅威」を言い立て軍事的対応を問題にする「外交」から抜け出し、平和の大戦略を外交の根底にすえることが重要です。
こうした転換を政府におこなわせるためにも「日本国民自身が声をあげることが重要」と指摘した不破さん。国民一人ひとりが歴史認識の問題に正面から向き合う営みは「日本が二十一世紀、アジアの一員として、多くの隣人と力をあわせ、アジアと世界の平和で活力ある未来をめざす大道を切り開く力に、必ずなる」とのべ、そのためにあらゆる努力をつくす決意を表明して、講演を結びました。