2005年5月10日(火)「しんぶん赤旗」
JR事故から2週間
生活一変 マンション住民
安住のわが家 いつ
「他の土地にはいけない」
兵庫県尼崎市のJR福知山線の脱線事故から九日で二週間。家族を失った遺族、意識の戻らない重傷者、激突したマンションの住民など犠牲者たちの心の傷は現在も癒やされません。
「定住できるところを早く決めてほしい」。脱線した列車が突っ込んだマンション「エフュージョン尼崎」に住んでいた山口次郎さん(81)の生活はあの日の朝から一変しました。
「想像もできないごう音でした」と、列車がマンションに激突したときのことを話します。ベランダに出てみると「もうもうと土煙が上がっていました。マンションの警報がなってすぐに避難しました」と山口さん。事故に遭った日はマンションで一夜を過ごし、翌日避難命令が出て、JRが用意したホテルに移りました。
京都府宮津市にいる娘が心配してかけつけてくれて、妻信子さん(85)と三人でホテル暮らし。しかし、ホテルは台所もなく食事も作れず落ち着きません。やむなく娘の住む宮津市に身を寄せました。そこで四泊して、避難命令が解除されたために尼崎市のマンションに戻りました。
「もうここには住みたくない」という妻。気管支炎の持病があります。山口さんも通院の必要とする病気があります。代替のマンションをJRと交渉しました。現在はJR「尼崎」駅近くの賃貸マンションに仮住まいしています。
「生まれも育ちも尼崎の尼崎っ子。他の土地には住めません」と山口さん。
同マンションの四十七世帯のうち大半が転居を希望しています。すでに半数近くの世帯が仮住まいで転居しました。十一日にマンション事故対策本部とJRとの二回目の会合が開かれる予定で、補償問題などを話し合います。